プロレタリア文学の輝く一番星、小林多喜二は、1933年2月20日にわずか29歳の若さで、築地警察署で虐殺されました。築地には多喜二の最後にゆかりのある場所がいくつか残っています。この旧跡をフィールドワークして歩いてみましょう。
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都営地下鉄大江戸線・築地市場駅A1番出口を右に出てすぐに、築地市場跡の工事現場、そのまま直進すると築地場外市場があります。よく見ると、お出迎えしてくれている人がいますね。
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警官です。多喜二が虐殺されたころではないでしょうが、ここに交番があったそう。現在は「絵の待合せ場所」となっています。
途中築地場外市場でおいしいものを食べるのもいいですが、水曜日と日曜日は閉まっているお店が多いので注意が必要です。
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そのまま直進すると左手には浄土真宗本願寺派の寺院・築地本願寺が見えます。伊藤忠太が設計した「インド・ガンダーラ風」の伽藍は一見の価値あり。オシャレなカフェも併設されています。本願寺の南には、「活字発祥の地」の記念碑もありました。
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多喜二にゆかりのある史跡は、本願寺から見て正面・北東の銀座寄りに集中しています。
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多喜二が虐殺された築地警察署です。建物は新しく建て替わっています。
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築地警察署の裏口には小さな門があります。多喜二の亡骸もこのばしょから搬出されたのでしょうか。この裏口の目と鼻の先には、多喜二の亡骸が検案された旧前田医院跡があります。
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そして、これら多喜二最期の地からほど近くに、これもゆかりある築地小劇場跡があります。現在はみずほ銀行の敷地の一部、水道ポンプの壁面にレリーフと解説版が飾られていました。
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