近年、世界中で山火事、熱波、干ばつ、ハリケーン、洪水が頻発し、その規模も拡大している中で、何百万人もの若者や労働者階級の人々が、気候や生態系の危機に対する抗議行動に取り組んできました。「気候変動ではなく、システムを変えよう!」というのが主要なスローガンになっており、破局を避けるためには社会の根本的な変革が必要だという意識が反映されています。
カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスの思想や、彼らの資本主義批判への関心が高まっているのと同時に、このような動きが出てきたのは当然のことでしょう。彼らは、資本主義が労働者と自然の両方からの搾取に基づくものであり、環境危機を必然的に引き起こすと主張しました。特に、資本主義が人間社会と自然の間に「物質代謝の亀裂」を生じさせたというマルクスの理論は、今日の危機を理解する上で欠かせないツールとして再浮上しています。
目次
マルクスは唯物論者として、人間社会は自然から進化したものであり、人間が生きている自然の条件と深く結びついているということを出発点としました。1844年、マルクスは次のように書いています。
人間は自然によって生きてゆく
人間は死なないためにはたえずこれ(自然)と係りあっているのでなくてはならない
【訳注:経哲手稿第一手稿「疎外された労働」】
当時の自然科学の最先端を研究していたマルクスとエンゲルスは、人間社会が、地球上のすべての生命を維持する微妙なバランスの自然循環と循環プロセスからなる自然のダイナミックで複雑なシステムに依存していることを認識していました。これらの自然循環は、地球の地質学的な歴史の中で生まれ、安定化してきたものです。人類と人間社会は、これらの自然のサイクルやプロセスとの代謝的な相互作用を通じて進化してきたのです。そしてそこから衣食住やエネルギー、熱などを得て、自然そのものに影響を与えてきたのです。
これらの循環は、人間の社会、生産、文化が発展するための基盤となっています。大気と海洋の間の炭素循環は、地球の温度を調節する上で重要な役割を果たしています。栄養の循環は、土壌を補充し、植物の成長を可能にし、私たちはそこから食物やその他の有用なものを得ています。大気中の水の循環は、地球上で淡水が循環するために重要であり、これなくして生命は存在し得ません。
これらは、人類の文明が誕生した最近の地質学的時代である完新世の地球の生物地球化学にとって重要な自然プロセスのほんの一部に過ぎません。マルクスは、このような自然のプロセスの重要性を認識し、人類と自然との持続可能な関係は、「生命の自然法則によって定められ」ていると主張したのです【訳注:資本論3巻6篇47章5節】。
数百年前に資本主義的生産様式が出現すると、人間社会と自然界との関わり方は根本的に変化しました。19世紀半ば、マルクスとエンゲルスは、資本主義と自然との間に矛盾が生じつつあることを見抜いていました。
産業資本主義の出現は、人類の生産諸力を飛躍的に向上させる画期的な科学技術の発展と結びついていました。マルクスとエンゲルスは、このシステムが、それ以前の封建的なシステムとの関係で、歴史的に進歩的なものであると理解しました。しかし同時に彼らは、このシステムがすぐにさらなる発展の桎梏となり、社会的、経済的、環境的危機を引き起こすことを意味する、システムの核心にある多くの矛盾を特定したのでした。
資本主義は、地球上の富と資源を少数の企業や超富裕層に私的所有させることを基本としています。資本主義は世界中の労働者の努力と技術を結集してグローバルな分業を生み出しますが、これらの労働者は、物がどのように生産されるかをコントロールすることはできません。その代わり、資本家は利潤の最大化のみに基づいて生産を指揮します。
利潤は、労働者の労働力を搾取し(労働者が生み出す価値よりも低い賃金を支払い)、自然から資源を採取することによってもたらされます。このシステムの下では、自然は、生産のための原材料に変わるまで、それ自体には何の価値もない、ビジネスへの「無償の贈り物」(マルクス)【訳注:定訳は「資本の無償自然力」資本論3巻6篇44章】として扱われるのです。
資本家は市場で互いに競争しているため、拡大、破壊、抽出、搾取を余儀なくされ、私たちの生活のあらゆる側面を果てしなく商品化し続けていきます。環境は、人間が生きなければならない固有の自然の境界や限界と見なすのではなく、無尽蔵の利潤の源泉と見なし、システムの成長には、絶えず上昇する原材料と化石燃料の流れが必要になるのです。
競争の激しさは、企業が短期的な利潤サイクルで機能しなければならないことを意味します。利潤の流れを維持できない企業は、競合他社に打ち負かされ、破綻してしまう。つまり、このシステムは本質的に近視眼的であり、目先の利潤追求を見過ごすことができないのです。
しかし、この近視眼的な利潤追求は、自然が持つ自己再生能力と相反するものです。エンゲルスは、資本家は生産が環境に与える影響を無視するか外部化する傾向があり、環境を枯渇させるべき無限の原料や汚染させるべき廃棄物とみなしていると主張しました。
利潤の追求が自然界に連鎖反応を引き起こし、富の源泉である自然を破壊するため、必然的に環境危機を引き起こすことを、彼は次のように明言しています。
われわれ人間が自然にたいしてかちえた勝利にあまり得意になりすぎることはやめよう。そうした勝利のたびごとに、自然はわれわれに復讐する。
【訳注:自然の弁証法/猿が人間になるについての労働の役割】
近年、マルクスが資本主義的農業について書いた文章に再び関心が集まっています。マルクスは、資本主義が利潤を追求し続けることによって、自然の生命維持のサイクルを破壊していると説明しました。このことは、人間社会と自然との間の代謝に「亀裂」を生じさせ、人間社会の根幹を脅かすものであると主張したのです。
マルクスは、ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒの研究を通じて、ヨーロッパの工業的農業が地球の栄養循環を破壊していると警告していいます。それを補うための化学肥料の乱用は、土壌の「永続的な肥沃の源」、すなわち有機的な複雑さを破壊しました。
現代のアグリビジネスとその食の商品化は、19世紀にマルクスが観察したような代謝の崩壊を地球規模で再現しています。新植民地主義的世界では、資本主義的農業は森林破壊と土地利用の変化の主要な推進要因の一つであり、パーム油プランテーションやマクドナルドなどの企業の巨大牧場のような単一栽培の広大な景観を作り出してきました。特に南米アマゾンでは、農業による森林破壊が、古代から蓄えられてきた膨大な量の炭素を放出し、気候変動を悪化させる恐れがあります。
資本主義的グローバリゼーションの時代には、多くの国が世界市場に輸出するために、コーヒーや綿花などの商品作物の栽培を優先せざるを得ませんでしたが、それは気候がその栽培に適していない場合であっても同様です。その結果、食料自給率が低下し、食糧不足が深刻化し、土壌の劣化が進みました。
50年代から60年代にかけての作物育種技術の大きな進歩により、小麦の収量は10年間で3分の2、米の収量は3分の1増加しましたが、これは肥料と農薬の使用を大幅に拡大したことが基盤となっています。この取り組みは、米国の多国籍アグリビジネス企業が主導し、自社製品への依存度をスパイラル状に高めることを狙ったものでした。インド、メキシコ、その他の新植民地主義的な国々で集中的に推進されたこれらの方法は、自然の肥沃度(土地の自然力)を崩壊させ、大量の合成肥料への完全な依存を作り出したのです。そして今、合成肥料のサプライチェーンが寸断され、世界的な食糧危機を招いています。
合成肥料は悪影響だけでなく、資源としても限りがあります。地球上に存在するリンは、その90%近くが世界の食料サプライチェーンで使用されており、そのほとんどが作物用肥料として使われていますが、その枯渇は驚くべき速度で進行しています。現在の消費レベルでは、リンの貯蔵量は約80年で枯渇すると推定されています。資本主義は、土壌の枯渇という問題を先送りし、あらゆる段階で危機を深めてきたに過ぎないのです。
同じグローバルなプロセスで、世界中の中小農家が、肥料や農薬のコスト上昇により、借金地獄に追い込まれています。このことが、近年インドで起こっている農民の大規模な抗議運動の主な要因となっています。
マルクスは次のように言及しています。
資本主義的農業のすべての進歩は、労働者から掠奪する技術の進歩であるのみではなく、同時に土地から掠奪する技術の進歩でもあり、……
【訳注:資本論1巻4篇13章10節】
世界の食糧の支配は、少数の多国籍企業の手にますます集中しつつあります。例えば、4つの企業が世界の穀物取引の約90%を支配し、たった10社が世界のすべての大型食品・飲料ブランドを支配しているのです。また、食品部門は金融部門と密接に結び付きつつあります。このため、連鎖的な破綻の影響を受けやすくなっており、その場合、世界中の人々の生活に絶対的な壊滅的な影響を与えることになります。
このようなシステムの下では、食料は主に栄養を与えるために生産されるのではなく、利潤を得るために生産されるのです。つまり、すべての人を快適に養えるだけの生産力があるにもかかわらず、何百万人もの人々が飢えているのです。例えば、今日、8億2800万人が栄養失調に陥り、44の州で「驚くべき」レベルの飢餓が発生しています。同時に、市場が不安定な中で投機家が儲けることができず、小麦は米国とロシアの穀倉に山積みにされています。
また、家畜の工場生産は、穀物や水などの資源を大量に浪費し、温室効果ガス総排出量の18%を排出しています。動物の商品化には、効率を上げるために最も過酷な条件が要求されます。動物は密に配置された畜舎で、残酷で野蛮な環境の中で飼育されています。最も利潤をもたらす形質のために選択的に繁殖させ、ほとんど遺伝的に同じ動物を生産し、成長ホルモンを大量に投与して、できるだけ早く成熟させ、回転率を上げるのです。このことは、工場がウイルスの巨大な貯蔵庫であり、そのウイルスが人間に感染することを意味します。
マルクスの物質代謝の亀裂に関する著作は、農業と土壌の枯渇の問題に関連していますが、彼の死後、人間の生産とその基盤である自然のプロセスとの間の亀裂は、計り知れないほど大きく広がっています。
資本主義が地球の生態系を破壊しています。ミネラル、栄養分、その他の原材料は自然から吸い上げられ、汚染物質は地面、海、空気に吐き戻されています。ここ数十年、資本主義が地球の隅々にまで拡大した結果、地球の土地の50%が農業、都市、道路などのインフラに変わり、温室効果ガス排出の14%を占める土地利用の変化を引き起こしました。
その結果、地球上の生物多様性は崩壊してしまいました。資本主義は、1970年以降、哺乳類、鳥類、両生類、魚類、爬虫類のほぼ70%の個体数を一掃し、全昆虫数の半分が消滅しています(花粉媒介者の減少、ひいては食料生産の減少につながる)。生物多様性は、気候条件と弁証法的に結びついています。安定した気候は、生物が発展し、多様化するための条件を整えていますが、生物の多様性は、地球システムを安定化させてもいるのです。生物多様性がなければ、地球の生命維持のための自然現象は危機に瀕することになります。
これは、資本主義が地球にもたらした多くのエポックメイキングな変化の一つに過ぎません。1950年代以降、化石燃料の燃焼、CO2排出、海洋酸性化、種の絶滅(および生物多様性の損失)、窒素・リン循環の破壊、淡水枯渇、森林喪失、化学汚染などが指数関数的に増加し、「ホッケースティック」(グラフの形状から名付けられた)と呼ばれています。このため、地球は「完新世」を離れ、「人新世」(正確には「資本新世」?)――地球の自然システムが人間の影響に支配される新しい地質学的時代――に入ったとも主張されています。
現在、9つの「プラネタリー・バウンダリー」のうち、少なくとも5つはすでに越えてしまった可能性があると科学者たちは警告しています。この境界線は、「人類にとって安全な活動領域」として機能する地球環境の条件です。この境界を越えると、「ティッピング・ポイント(転換点)」に達し、気候変動の連鎖が引き起こされ、組織的な環境崩壊(地球の歴史的な大量絶滅の際に起こったような崩壊)をもたらす可能性があります。これらの境界を越えることは、地球のシステムが回復不可能なほど変化し、人類の生存にあまり適さない新しい均衡を見つけるまで危機に陥る「ポイント・オブ・ノーリターン」(帰還不能点)の合図かもしれません。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の評価によれば、36億人が当面、気候変動の影響(特に猛暑、豪雨、干ばつ、山火事)に対して非常に脆弱であるとされています。その一方で、資本主義体制は、利潤を追求するあまり、環境破壊を加速させるばかりです。
今日、このシステムのあらゆる矛盾は拡大し、それが生み出す危機は、戦争、経済危機、気候変動、飢饉、大量移住など、ますます相互に影響し合うようになっています。これらの危機はすべて、富、資源、産業の私有化と、資本家階級による絶え間ない利潤の蓄積が、人類と地球のニーズと対立しつつあることに起因しています。
エネルギー産業はその端的な例です。吐き気を催すようなグリーンウォッシングにもかかわらず、大手銀行は2015年以降、化石燃料産業に約4兆6000億ドルを注ぎ込み、石油・ガス企業は2030年までに新たな鉱区での探査・採掘に約4兆9000億ドルを投じる計画です。これは、地球規模のインフラ全体が構築されている化石燃料は、自然エネルギーへの生産的な投資を何年もかけて行うよりも、はるかに大きな短期的利益をもたらすからです。
IPCCは、2050年までに世界のエネルギー供給の80%を再生可能エネルギーで賄うことができると発表しています。これは、温室効果ガスの濃度を450ppm以下に抑えるために必要なことです。この濃度を超えると、気候変動が壊滅的かつ不可逆的になる安全限界と科学者は推定しています。しかし、これを実現するのは市場にとって不可能なことなのです。このような移行は、すでに市場で取引され、企業が「先物」として保有している約20兆ドル相当の未開発の化石燃料資産を投資家が帳消しにすることを意味し、市場の視点からは高収益ですが、実現すれば地球にとって終末的なものです。
資本主義市場は、それが作り出した生態学的危機に対処することが全くできません。社会の富、資源、産業の私有を基盤として、持続可能な生産への計画的な移行は不可能です。近視眼的な利潤追求は、コロナ危機や無数の異常気象で見られたように、危機をさらに悪化させるだけです。
人新世の危機に直面するためには、社会の経済的・自然的資源を大銀行や企業の手から引き離し、民主的な社会的所有にするという革命的な変革にほかなりません。そうして初めて、私たち労働者階級の多数派は、「プラネタリー・バウンダリー」の範囲内で人類のニーズを満たすために経済生産と分配を集団的に計画し、人類の巨大な生産力を資本主義が生み出した物質代謝の亀裂を癒す方向に向けることができるのです。
これは、グリーンエネルギー、公共交通、持続可能な都市と都市計画、低炭素雇用、復興プロジェクト、気候変動に強いインフラへの大規模な投資で始まり、同時に資本主義に固有の膨大な廃棄物を削減することになります。これらはすべて、環境破壊を減らしながら、人間の福祉を大きく向上させるでしょう。
計画経済では、巨大企業や金融投機家の支配から解放され、持続可能な農業技術やテクノロジーを使って、より多くの人々をより効率的に養うことができます。
これを実現できる唯一の力は、今日、グローバルなサプライチェーンを通じて高度に組織化され、つながりのあるグローバルな労働者階級のみです。世界の労働者は団結し、社会主義プログラムのために自らの利益のために戦い、社会を根本的に変革し、貧困、浪費、無謀な破壊をなくす力を持っています。それが実現された結果としてはじめて、マルクスが「人間と自然とのあいだの、また人間と人間とのあいだの抗争の真実の解決」【訳注:経哲手稿第3手稿「私的所有と共産主義」】と呼んだものをもたらすことができるのです。
“Marx, the ‘Metabolic Rift’ and Capitalism’s Assault on Nature” by Christ Stewart and Keishia Taylor.
This article is republished from MR Online under CC BY-NC 4.0 Int.
『資本論』の章立ては岩波向坂訳、その他は大月版全集に従った。