反ファシズムの民衆史をどう描くか : 世界はもっとダイナミックな運動史を必要としている

 主要なニュースの中で二度と聞きたくない言葉があるとすれば、それは「アンティファ」でしょう。その理由は、右派がその言葉の周りに構築した大規模な陰謀論の枠組みがあるからです。それはかつての冷戦パニックの新たな姿を作り出し、あらゆる社会悪を、プラウド・ボーイズ【訳注:トランプ支持で白人至上主義かつ女性嫌悪主義のネオナチ団体】の集会を妨害するバラクラバをかぶった反対派のせいにしているのであす。しかしそれは同時に、反ファシズムを最小公倍数に縮小する「解説」記事や論説の終わりのないオンパレードのせいでもあります。たいていそれは、自分たちの基盤にいる白人民族主義者を守ろうとする保守派が投げかける偽りの主張から活動家を守る、という称賛すべき目標によって鼓舞されています。

 反ファシズムは、黒ずくめの若いアナーキスト(たいてい白人)がネオナチのリーダーをパンチで倒し、その功績を讃えるという一点に集約されてしまっているのです。これは現実と無縁ではありません。積極的な「反ファシスト」グループ(語のそのままの意味における「アンティファ」)と偏見なく呼べるものには、長く効果的な歴史があり、それは国を超えた急進左派内部の主流として、何十年も遡ることができます。ヴォルクスフロント【訳注:90年代から10年代に活動したアメリカの白人分離主義団体】のようなホワイトナショナリストのグループから、さまざまなクランの復活、「創造主」運動【訳注:70年代アメリカ発祥の白人至上主義の宗教運動】、オルトライトまで、アンティファは間違いなく、自分たちの名前の通りのことをそのまま実行してきました。それは、白色民族主義者の機能、勧誘、再生産能力を破壊することによって、白色民族主義者を著しく阻害したのです。

 また、反ファシストが用いた様々な戦術や、ストリートシアター、コミュニティの準備訓練、カウンターメッセージなど、人々が採用した対抗戦略に対する複雑な批判もあります。反ファシズムは一枚岩とは程遠く、様々な分野、アプローチ、内部批判を持つ成長中の社会運動であり、そこには新しい戦略的地平を必死に切り開こうとする人々も含まれています。活動家たちはここ数年、極右がもたらす脅威に適応することに時間を費やしてきました。そして今日、それらの経験を振り返りながら、反ファシズムの未来がどのようなものでありうるかについて、力強い考察がなされています。

 問題なのは戦闘的な反ファシズムを称賛することではなく、この特異な描写の仕方が本質的にこの運動の可能性を制限していることです。反ファシズムは、よく訓練された少数のラディカル・クルーだけで構成されているのではなく、拡大し重なり合う共同体を含み、しばしば直接行動の要素に重みを加え、利用可能な戦略の数を倍増させるものです。反ファシズムは、第二次世界大戦後、ファシズムの恐怖に「二度とごめんだ」という言葉を返して以来、左翼にとって必要かつ恒久的なものであり、反ファシズムの様々な形態が生まれる方法は、それらを生み出したコミュニティと同様に多様なのです。

 私が最近出版した論文集『No Pasaran: Antifascist Dispatches from a World in Crisis』では、その多様性のほんの一片を捉え、反ファシズムと呼ばれるものを解剖することで、トランプ主義やオルトライト、過去数十年のホワイトナショナリズムを越えて、次に来るものへのビジョンを少しでも提示できればと思ったのです。そうすることで、「反ファシズムの民衆史」を手に入れられるように、代表的でない声に力を与えることが期待されており、これは多くの急進的な運動の歴史が目指しながらも達成できないミッションです。本書で取り上げるべき内容を明確にすることで、社会運動史をよりダイナミックなものにするための青写真を提供しようと試みました。この本では、新しい声を意図的に受け入れ、活動家をどう特徴づけるかという前提そのものを見直す努力をしているのです。

 そうすることで、運動史を書くためのいくつかの重要な戦略が浮かび上がってきます。それらは、単に反ファシズムの物語を語る以上の教訓となることでしょう。その代わりに、彼らは、記録したい闘争に組み込まれ、この種のジャーナリズムと学問を運動自体の一部と見なす、アクセス可能で信頼できる運動史の記録方法を垣間見ることができるのです。

1. 多様な声を収録するだけでない、本に載せる方法を見つけよう。 オーガナイザーの多くは、学術的な研究やプロのジャーナリストとして時間を費やしているわけではないので、文章を書くことはそれほど得意ではないかもしれません。また、労働者階級の人々の多くは、多くの終身雇用の大学教授が持っているような自由な時間を持たないので、彼らの出番はまばらかもしれません。このように、単にある章を書くように頼んだり、大規模な調査を依頼したりするのは現実的ではないので、彼らの声を本に反映させる方法を一緒に考える必要がある、ということです。本の中で多様な書き手をサポートする方法を見つけない限り、多様な書き手に力を与えるという仕事を実際に行っていることにはならないのです。

 『No Pasaran』で取り上げたいオーガナイザーの何人かは、仕事や家族、健康上の理由で時間を取られていました。そこで、彼らの章をインタビュー形式にし、私が編集者として彼らと一緒に作業をしました。章を座談会にしたり、議論を録音してエッセイにしたり、既存の資料と一次資料を組み合わせて使ったり、本を作りたい人たちの声を載せた文章を作るための工夫を凝らしています。

2. 寄稿者や影響を受けた人たちが実際に書きたいことに耳を傾ける。 もし私がこの歴史に反ファシズムについての私の独りよがりなビジョンを押し付けてしまうと、この本は本質的に限られた視点しか持たなくなってしまうでしょう。それを避けるために、私たちは各寄稿者に「好きなこと」を書いてもらいました。基本的には、彼らが言うべきと感じること、力を与えられたと感じることを投稿し、プロセスの進行に影響力を持つべきだということです。そうすることで、関係者がプロジェクト全体の方向性を決定する有機的なシステムができあがったのです。その結果、複数の貢献者に投影された単一の物語を再現するのではなく、生きた体験から発展した章ができあがりました。

3. 反ファシズムは単に反ファシズムであるだけではない。 社会運動は単独では存在せず、他の社会運動がどのような関係で存在するのかを問う必要があります。反ファシズムは、社会的再生産のために自らを支える相互援助に依拠しています。その共同体は、組織労働者、借家人組合、地域の反差別主義者グループ、教会や信仰団体などを中心に構築されているので、それらの運動も反映した歴史が必要なのです。反ファシズムを取り巻く空間は、その言葉が意味するストーリーを広げ、より説得力のある未来のビジョンを提供する方法の一部であり、あなたが代表であると主張する運動に置かれた境界線を押し広げ始める必要があるのです。私たちは、反ファシズムが警察や刑務所廃止、アートや音楽、その他の社会運動とどのように関係しているかを調べましたが、その結果、どの社会運動も他のすべての運動から切り離されてはいないことがわかりました。すべては繋がっているのです。

4. 意見の相違を許容する。 私は『No Pasaran』の全編に同意しているわけではありませんし、中には全く対照的な意見もあります。活動家が抗議行動を計画する会議室と同じように、多様で代表的な声の集まりは、互いにほぼ一定の不一致を表明することになるのです。それが民主制の現実です。これは単に受け入れられるべきものではなく、積極的に追求されるべきものであり、このプロジェクトを本物のドキュメンタリー運動史に昇華させるものなのです。

5. 人々にお金を払うこと。 これは当たり前のことのように思えるかもしれませんが、ラディカルな出版においてはそうではありません。急進的な出版社で本を出版するほとんどの人にとって、執筆料はないかあったとしてもわずかなものです。大規模なアンソロジー(この本には30人近くが参加しています)の寄稿者に支払うための十分な資金がないことは確かなので、これを考えるには、既存の出版モデルの外側から考える必要があります。

 私たちは、アナキズムに関する研究機関が支援するクラウドファンディングを利用し、寄稿者全員に少額の奨学金を出すのに十分な額を集めました。それは大した金額ではありませんでしたが、スタート地点であり、歴史の構築に貢献するために残りの人生から時間を割くために人々がしばしば必要とするものでした。

 ですから、このような活動を支援するための財政基盤を、ささやかでも構築する方法を考えてみてください。これは双方向の道です。そうでなければ、このようなメディア・プロジェクトが、経済的に恵まれた人たち以外を惹きつけることは期待できないからです。

6.学術的なトーンは捨てる。 本当に噛み砕いた分析、調査、信頼できる主張を持つ運動研究があることは素晴らしいことです。しかし、単に一種類の投稿にとどめるのは、投稿する人も、それを読む人も限定されてしまうからです。ストーリー、インタビュー、会話、詩、フィクション、アート、コミックなど、そのページに反映させたい人々の視点を正当に明らかにするものなら何でも含めるようにしてください。私たちとしては、できるだけオープンにして、名前と日付に焦点を当て、人々の心を犠牲にするような、アカデミックな作品とは一線を画すような投稿をたくさんするように心がけました。人口統計学的な多様性だけでなく、スタイルの多様性を追求することが重要なのです。

7.ムーブメント作りに自分の歴史をどう生かすかを考える。 この本をまとめるにあたって、私たちは、実際に活動するオーガナイザーに現実的なツールを与えることができるような貢献を優先しました。私たちは、本のイベントがどのように運動の場になりうるか、また、現場での闘いをこの本とどのように結びつけることができるかを考えてきました。あなたが作っている歴史そのものの戦略を考え、あなたの文章が反映する組織化をどのようにサポートできるかを考え、日常を生きる人々と対話し続けるのです。

 例えば、多様な経験やアイデンティティを含めること、周縁化された声を最初に話すこと、抑圧者の意見を無批判に再現するのではなく、抑圧に直面している人々の経験に焦点を当てることなど、言うまでもないこともあります。反ファシズムに焦点を当てることで、実際にホワイトナショナリズムそのものを語ることになりますが、それを抵抗の立場から行うのです。つまり、私たちが「民衆の歴史」を語るときに行うことの一つは、コミュニティの歴史全体について語ることですが、私たち自身の経験や、コミュニティをより解放された空間にするための探求を優先させることなのです。「自分たちの側に立つ」ことによって、通常、権力者の視点から書かれる一般的な物語を破壊し、その歴史を実際に作っている人々、つまり、抵抗し、私たち全員のためにより良い世界を作ることを選んだ日常の人々の手に戻す、真に感情を突き動かす物語を語ることができるのです。

This article is republished from Waging Nonviolence under CC BY 4.0 Int.

Image: Ckara Hajimaru hito, CC0 1.0 Univ., via Wikimedia Commons

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