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【3/17更新】日本共産党・党首公選主張した松竹伸幸氏除名の問題 当事者の発表と各種報道まとめ 党・松竹氏・鈴木氏・メディア各社

(原則として発行日付降順、日付はウェブ版準拠)

当事者による発表

日本共産党🆕

  • 市田忠義 1942年生 党副委員長・常任幹部会委員 立命館 元図書館司書、党京都伏見区委員長、京都府委員長、参議院議員(京都)、党書記局長 90年幹部会委員、94年常幹、97年書記局次長
  • 井上哲士 1958年生 党幹部会委員 参議院議員(比例) 京大 元府学連委員長、党京都府委員会専従、赤旗記者 10年より中央委員、14年より幹部会委員
  • 小池晃 1960年生 党書記局長・常任幹部会委員・ユーチューバー 参議院議員(比例) 東北大 元医学連委員長、全学連副委員長、医師 16年より書記局長
  • 穀田恵二 1947年生 党常任幹部会委員・国会対策委員長 衆議院議員(京都1区・近畿比例) 立命館 元立命館職員、京都北地区委員長、京都市会議員
  • 志位和夫 1954年生 党幹部会委員長 衆議院議員(南関東比例) 東大 90年書記局長、2000年より委員長
  • 谷本諭 党中央委員・政策委員会副責任者・社研幹事 20年より中央委員
  • 田中倫夫 日曜版記者・日曜版編集委員会副編集長
  • 田村智子 1965年生 党副委員長・常任幹部会委員・政策委員会責任者 参議院議員(比例) 早大 元民青専従、党東京都委員会副委員長 10年中央委員、16年より常幹・副委員長
  • 土井洋彦 党書記局次長・准中央委員・学術文化委員会責任者 20年より准中央委員・書記局次長
  • 中祖寅一 赤旗政治部長・党中央委員 17年准中央委員、20年より中央委員
  • 藤田健 赤旗編集局次長・党幹部会委員・書記局員・機関紙編集委員 20年より幹部会委員
  • 山下芳生 1960年生 党筆頭副委員長・常任幹部会委員・党建設委員会責任者 参議院議員(比例)鳥取大 元生協職員、民青専従、党大阪府副委員長 13年書記局長代行、14年書記局長 10年より常幹

松竹伸幸氏🆕

プロフィール・党内人事

松竹伸幸 1955年生 かもがわ出版編集主幹 京都南地区の職場支部所属 一橋大 元全学連委員長、民青専従、党政策委員会安保外交部長(~06)、かもがわ出版編集長

鈴木元氏🆕

プロフィール・党内人事

鈴木元 1944年生 教育者 京都府内の単位後援会会長 立命館 元立命館学生党委員長、党京都北地区委員長、京都府委員会常任委員、立命館大総長室長、初芝学園副理事長

その他🆕

報道

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新聞・通信社🆕

放送系🆕

夕刊紙・出版社系🆕

ウェブメディア・個人・その他🆕

個人発信については基本的に、党の規律問題に精通していると思われる者によるもの、文化人によるものを記載。Twitterつぶやきが原則非掲載

他党派

資料

【資料】小山弘健『戦後日本共産党史 党内闘争の歴史』の序文(1958年)

党の政策と松竹氏の提案の対照表

蜷川虎三「反共は戦争前夜の声」

【資料】蜷川虎三「反共は戦争前夜の声」(京都民統・吉田内閣打倒人民大会での演説より 1950年4月3日)

日本共産党第11回大会報告より「指導とはなにか」(宮本顕治書記長 1970年)

【資料】「指導とはなにか」(日本共産党第11回大会への中央委員会報告 宮本顕治書記長 1970年7月1日)

日本共産党第19回大会第11回中央委員会総会冒頭発言より(宮本顕治議長 1994年)

党史「日本共産党の七十年」について

新しい理論的探究 丸山真男の天皇制史観への反撃

 わが党はいろいろな新しい理論的な探究もいたしましたが、その一つが、丸山真男の天皇制史観の問題です。この丸山真男・元東大教授の天皇制史観はなかなかこったもので、それを近代政治学として裏づけているものであります。 つまり、天皇制は無責任の体系である、責任がとれない体系であるというものです。 それだけならともかく、その天皇制に正面から反対した日本共産党にも、実は天皇制の「無責任さ」が転移しているのだというのが、丸山の天皇制史観の特徴であります。
 これは、一九五〇年代に展開されたもので、党中央が解体状況で統一した力をもたなくて、こういう党攻撃にたいしても十分な反撃ができなかった、いわば日本共産党が戦闘能力を失うという状況のなかで、丸山のような見解が学界を風靡したわけであります。何十年かたちまして、日本の現代論についてみると、党から脱落したりあるいは変節したような連中が、丸山真男の天皇制論をもってきて、いまだに自分たちの合理化をやっているということがわかりました。 革命運動のなかに天皇制的精神構造があるというようなことをいいまして、いろいろな攻撃をくわえてきたわけであります。
 丸山真男の一番大きな誤りは、歴史を大局的に見ることができないということです。戦時中に日本共産党がかかげていた「天皇制反対」とか「侵略戦争反対」は、ただ日本共産党が大衆をどう動員したかということではなくて、ひろく世界の戦争とファシズム反対という、世界の民主主義の潮流と合致していたのです。 戦後の日本も世界もその方向に動かざるをえなかった。そこに日本共産党の先駆性があるわけです。
 それを彼は、日本共産党の幹部たちも雄々しくたたかったけれども、結局は、「敗軍の将」であって、「政治的責任」を果たさなかったと攻撃している。「死んでもラッパを離しませんでした」という木口小平の話のような結果ではないかという嘲笑をした。そういう丸山の理論にたいして、五〇年代当時は十分な反論ができませんでしたが、いまはちがっております。
 何十年かたっておりますがやはり非常に大事な問題です。 しかも学界ではその後、丸山真男をこえるような天皇制論をだれもやっておりませんから、これが一番の権威になっているのです。したがって、さきほどあげた丸山真男の一番の盲点を中心とした反撃が大事です。「前衛」では昨年の十二月号に若い党の研究者がしっかりした論文を書きましたが、五月号には丸山の天皇制史観に焦点をあてて学問的にも充実した別の若手研究者の論文が発表されようとしております。

第19回党大会日本共産党中央委員会総会決定集 下

丸山眞男「戦争責任論の盲点」(1956年)

【資料】「戦争責任論の盲点」(丸山眞男 1956年)

「50年問題について」(1957年)

【資料】「日本共産党の50年問題について」(1957年 日本共産党第15回拡大中央委員会) 【資料】「第6回大会以後の諸問題」(1958年 日本共産党第7回大会への中央委員会政治報告 野坂参三第一書記)

その他

【資料】「共産主義インタナショナルへの加入条件」(コミンテルン加入条件21箇条 1920年) 【資料】V・I・レーニン「党の統一とアナルコ‐サンディカリズム的偏向とについての報告の結語」(ロシア共産党(ボ)第10回大会 1921年) 【資料】「党内民主主義と指導の合議制」(全連邦共産党(ボ)第15回大会への中央委員会政治報告 1927年)

関連書籍

松竹伸幸『シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(1/19刊行)

鈴木元『志位和夫委員長への手紙: 日本共産党の新生を願って』(1/20刊行)

有田芳生、池田香代子、内田樹、木戸衛一、佐々木寛、 津田大介、中北浩爾、中沢けい、浜矩子、古谷経衡『希望の共産党 期待こめた提案』(1/19刊行)

有田芳生、森田成也、木下ちがや、梶原渉『日本共産党100年 理論と体験からの分析』(11/28刊行)

中北浩爾『日本共産党-「革命」を夢見た100年』

市田忠義『日本共産党の規約と党建設教室』

浜野忠夫『民主連合政府をめざして―党づくりの志と構え』

日本共産党中央委員会『講座みんなで学ぶ党規約―「支部が主役」で強く大きな党に』

浜野忠夫『時代を開く党づくり―党建設の歴史・教訓もふまえて』

浜野忠夫『国民に開かれた党へ―日本共産党新規約のはなし』

日本共産党50年問題資料集

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