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【資料】「戦争責任論の盲点」(丸山眞男 1956年)

戦争責任論の盲点

 知識人の戦争責任問題が最近またあちこちで提起されるようになった。この動きのなかに或る人は一見もっともらしい大義名分を掲げたジャーナリズムの商略を読みとり、また或る人は意識的無意識的に反動勢力の意図に乗るものとして警戒している。そのいずれにも根拠がないわけではない。しかし戦争責任をわれわれ日本人がどのような意味で認め、どのような形で今後の責任をとるかということは、やはり一度は根本的に対決しなければならぬ問題で、それを回避したり伏せたりすることでは平和運動も護憲運動も本当に前進しないところに来ているように思われる。むしろ知識人に問題をはじめから限定するところに誤解や曲解が生れるのであって、あらゆる階層、あらゆるグループについて、いま一度それらにいかなる意味と程度において戦争責任が帰属されるかという検討が各所で提起されねばならぬ。政界・財界では戦争責任という言葉は廃語になったといわれている(大熊信行氏の中央公論三月号論文)が、こうした事態を見過して知識人の、とくに「進歩的」なそれの責任だけ﹅﹅をあげつらうならば、それは明らかに平衡を失しており、悪質な狙討ちに結果的に力を藉すことになる。それへの対抗は問題を伏せることでなく、逆に問題を拡げ深める方向において行われるのが本当である。
 敗戦後間もなく放送された一億総ザンゲ説の正体が、緊急の場面に直面した支配層の放ったイカ﹅﹅の墨であったことは疑いを容れない。けれども一億総ザンゲ説のイデオロギー性に反撥するあまり、戦争責任の問題を白か黒かの二分法で片付けることは、歴史的理解として正確でないばかりか、責任問題を今後の﹅﹅﹅われわれの思考ないし行動決定に積極的にリンクさせる上に必ずしも有効ではなかろう。総ザンゲの論理は押しつめると「五十歩百歩説」に帰着する。 五十歩百歩説は五十歩百歩のちがい、況んや一歩と百歩の巨大なちがいに目をつぶることによっ て、結局、最高最大の責任者に最も有利に働くことになる。しかし他方、「白黒」論理は全体主義と総力戦の実体をあまりに単純化するために、しばしば四十九歩が免責されて、五十一歩が糾弾されるという奇妙な結果をもたらすばかりか、心理的効果として一方の安易な自己正義感と他方のふてぶてしい居直りとの果しない悪循環を起す。戦争責任の国民的規模での検討はむろんゼミナールの課題ではないから、憤怒・怨恨・嫉妬などの感情が論議に入りこんで来るのは避け難いけれども、今後のわれわれの方向決定にとって少しでも生産的なものにするためにはやはり泥試合に導き易いような問題の立て方はなるべく慎んだ方がいい。
 問題は白か黒かということよりも、日本のそれぞれの階層、集団、職業およびその中での個々人が、一九三一年から四五年に至る日本の道程の進行をどのような作為もしくは不作為によって助けたかという観点から各人の誤謬・過失・錯誤の性質と程度をえり分けて行くことにある。例えば支配者と国民を区別﹅﹅することは間違いではないが、だからとて「国民」=被治者の戦争責任をあらゆる意味で否定することにはならぬ。 少くも中国の生命・財産・文化のあのような惨憺たる破壊に対してはわれわれ国民はやはり共同責任を免れない。国内﹅﹅問題にしても、なるほど日本はドイツの場合のように一応政治的民主主義の地盤の上にファシズムが権力を握ったのではないから、「一般国民」の市民としての政治的責任はそれだけ軽いわけだが、ファシズム支配に黙従した道徳的﹅﹅﹅責任まで解除されるかどうかは問題である。「昨日」邪悪な支配者を迎えたことについて簡単に免責された国民からは「明日」の邪悪な支配に対する積極的な抵抗意識は容易に期待されない。ヤスパースが戦後ドイツについて、「国民が自ら責任を負うことを意識するところに政治的自由の目醒めを告げる最初の徴候がある」といっているのは平凡な真理であるが、われわれにとっても吟味に値する。
 しかしすぐれて政治的﹅﹅﹅な意味で戦争責任が帰属するのはいうまでもなく権力体系に座を占めた人および種々の政治的エリット【ママ】である。 それに比較すれば知識人が知識人として――という意味は政治家や役人としてではなく――負う戦争責任などは現実の役割において問題にならぬ。さて政治的エリットの責任を論ずる場合に、二つの点に注意したい。第一﹅﹅は、政治家と実業家、政務官と事務官といったような職名や地位から連想される政治性の濃淡を、現実の政治的役割の大きさと混同してはならぬということ。職業﹅﹅政治家の構成する「政界」は実質的な政策決定の場としてますます重要性を減少して行ったのが軍国日本の現実であった。
 第二﹅﹅に、具体的な政治力学はつねに「体制」勢力と「体制」勢力との対抗関係―――そのいずれが国民をつかむか、によって変動すること。したがって「体制的」勢力が国を戦争に引込んで行く可能性は逆にいえば、反体制指導者とアクティヴがどこまで有効に抵抗を組織するかにかかっている。この二点に注意しながら、我が国の戦争責任とくに政治的﹅﹅﹅な責任問題の考え方をふりかえってみるとき、そこに二つの大きな省略があったことに思い至る筈である。一つは天皇﹅﹅の戦争責任であり、他は共産党﹅﹅﹅のそれである。この日本政治の両極はそれぞれ全くちがった理由﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅によって、大多数の国民的通念として戦争責任から除外されて来た。しかし今日あらためて戦争責任の問題を発展的に提起するためには、どうしてもこの二者を「先験的に」除外するドグマを斥けねばならぬ。天皇はいうまでもなく 「体制」の最後の拠点であり、共産党はまた、体制のシンボルである。両者の全くちがった意味での責任をとりあげることは、この両極の間に色々のニュアンスを以て介在する階層やグループの戦争責任を確定し、その位置づけを明らかにする上にも大事なことのように思われる。 ここではごく簡単に問題の所在だけを示して見よう。
 天皇の責任については戦争直後にはかなり内外で論議の的となり、極東軍事裁判のウェッブ裁判長も、天皇が訴追の対象から除かれたのは、法律的根拠からでなく、もっぱら「政治的」な考慮に基づくことを言明したほどである。しかし少くも国内からの責任追求の声は左翼方面から激しく提起された以外は甚だ微弱で、わずかに一、二の学者が天皇の道義的責任を論じて退位を主張したのが世人の目を惹いた程度である。実のところ日本政治秩序の最頂点に位する人物の責任問題を自由主義者やカント流の人格主義者をもって自ら許す人々までが極力論議を回避しようとし、或は最初から感情的に弁護する態度に出たことほど、日本の知性の致命的な脆さを暴露したものはなかった。大日本帝国における天皇の地位についての面倒な法理はともかくとして、主権者として「統治権を総攬」し、国務各大臣を自由に任免する権限をもち、統帥権はじめ諸々の大権を直接﹅﹅掌握していた天皇が――現に終戦の決定を自ら下し、幾百万の軍隊の武装解除を殆ど摩擦なく遂行させるほどの強大な権威を国民の間に持ち続けた天皇が、あの十数年の政治過程とその齎した結果に対して無責任であるなどということは、およそ政治倫理上の常識が許さない。事実上ロボットであったことが免責事由になるのなら、メクラ判を押す大臣の責任も疑問になろう。しかも、この最も重要な期間において天皇は必ずしもロボットでなかったことはすでに資料的にも明らかになっている。にも拘らず天皇についてせいぜい道徳的責任論が出た程度で、正面から元首﹅﹅としての責任があまり問題にされなかったのは、国際政治的原因は別として、国民の間に天皇がそれ自体何か非政治的もしくは超政治的存在のごとくに表象されて来たことと関連がある。自らの地位を非政治的に粉飾することによって最大の政治的機能を果すところに日本官僚制の伝統的機密があるとすれば、この秘密を集約的に表現しているのが官僚制の最頂点としての天皇にほかならぬ。したがってさきに注意した第一の点に従って天皇個人の政治的責任を確定し追及し続けることは、今日依然として民主化の最大の癌をなす官僚制支配様式の精神的基礎を覆す上にも緊要な課題であり、それは天皇自体の問題とは独立に提起さるべき事柄である(具体的にいえば天皇の責任のとり方は退位﹅﹅以外にはない)。天皇のウヤムヤな居掘りこそ戦後の「道義頽廃」の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の先触れをなしたことをわれわれはもっと真剣に考えてみる必要がある。
 共産党――ヨリ正確には転向コンミュニスト【ママ】が戦争責任の問題について最もやましくない立場にあることは周知のとおりである。彼等があらゆる弾圧と迫害に堪えてファシズムと戦争に抗して来た勇気と節操とを疑うものはなかろう。その意味で鶴見俊輔氏が非共産主義者にとって戦争責任をとる、具体的な仕方として、あらゆる領域で共産党を含めた合議の場を造る必要を説いているのは正論と思う。しかしここで敢てとり上げようとするのは個人の道徳的責任ではなくて前衛政党としての、あるいはその指導者としての政治的責任の問題である。ところが不思議なことに、ほかならぬコンミュニスト自身の発想においてこの両者の区別がしばしば混乱し、明白に政治的指導﹅﹅の次元で追及されるべき問題がいつの間にか共産党員の「奮戦力闘ぶり」に解消されてしまうことが少くない。つまり当面の問いは、共産党はそもそもファシズムとの戦いに勝ったのか負けたのかということなのだ。政治的責任は峻厳な結果責任であり、しかもファシズムと帝国主義に関して共産党の立場は一般の大衆とちがって単なる被害者でもなければ況や傍観者でもなく、まさに最も能動的な政治的敵手である。この闘いに敗れたことと日本の戦争突入とはまさか無関係ではあるまい。敗軍の将はたとえ彼自身いかに最後までふみとどまったとしても依然として敗軍の将であり、敵の砲撃の予想外の熾烈さやその手口の残忍さや味方の陣営の裏切りをもって指揮官としての責任をのがれることはできない。戦略と戦術はまさにそうした一切の﹅﹅﹅要素の見透しの上に立てられる筈のものだからである。もしそれを苛酷な要求だというならば、はじめから前衛党の看板など掲げぬ方がいい。そんなことはとつくに分っているというのなら、「シンデモラッパヲハナシマセンデシタ」式に抵抗を自賛する前に、国民に対しては日本政治の指導権をファシズムに明け渡した点につき、隣邦諸国に対しては侵略戦争の防止に失敗した点につき、それぞれ党としての責任を認め、有効な反ファシズムおよび反帝闘争を組織しなかった理由に大胆率直な科学的検討を加えてその結果を公表するのが至当である。共産党が独自の立場から戦争責任を認めることは、社会民主主義者や自由主義者の共産党に対するコンプレックスを解き、統一戦線の基礎を固める上にも少からず貢献するであろう。

『思想』1956年3月号、岩波書店
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