日本共産党第11回大会への中央委員会報告
三 党建設の課題の成功的遂行のために
(略)
(5) 指導とはなにか
(略)
中間機関の指導幹部は、県委員会では、三十歳から五十歳までの壮年が八〇パーセントという構成です。この点では、わが党の機関の活動はエネルギーに満ちた世代を中心としております。県、地区委員および基礎組織の委員の構成は、現業の労働者が四〇~五〇パーセントであり、基礎組織の委員の構成では、第十回党大会後の入党者も一〇パーセント近くしめております。
しかし全党的観点にたつならば、各県および中央、地方の人事の交流を適切に積極化することが必要な段階になっています。中央委員会は大会を契機として、この面でも積極的な措置をとる方針でおります。
名誉役員制や顧問制の採用は新しい方向でありますが、中央、地方でも新幹部を抜てきすると同時に、経験ある古くからの幹部の適切な保全を考慮して、新旧幹部の長所をともに結びあわせることが幹部政策の重要点であります。同時に、老齢や病気その他で活動に耐えられなくなった同志にたいする同志的な処遇を考慮して、これらの人が長年革命運動に貢献した努力を評価しなければなりません。働けなくなったか らといって、その瞬間からこれを冷遇するということは、プロレタリア的な同志愛、プロレタリア・ヒューマニズムに反するものであり、顧問制や名誉役員制はそのために積極的に活用されなくてはなりません。また、はげしい党活動のなかで病気でたおれたり、けがをしたりする活動家も少なくありません。こうした同志や家族の救護のため、従来の弾圧犠牲者救援基金の適用範囲を拡大することも必要になっております。さらに、そうした活動家のため保養施設を地方ごとにつくるよう努力する必要もあります。
われわれがもとめる幹部の活動スタイルは、事実をありのままにつかみ、マルクス・レーニン主義にもとづく科学的分析力をもつということ、理論政策活動と、組織活動、大衆闘争の指導ができるということ、つまりいわば“両刀使い”の総合的能力をもつすぐれた幹部を養成することであります。
この点から、若干の県でおこった指導上の欠陥について、教訓をくみとらなければなりません。 愛知県党組織は重要な県でありますが、党勢拡大運動などにおいての行政的な官僚的な指導の欠陥が一時期あらわれました。この欠陥が指摘され、克服されていったことは、重要な意義がありました。しかし、同時にその欠陥の克服の過程、克服の仕方が、また逆の一面性をもっておこなわれました。党が十年間の党建設のなかで、その重要性を確認している党勢拡大のとりくみをたえず独自に、また一定期間集中的にやることの意義まで、理論上無視するというような、逆の受動的な清算主義的傾向におちいりました。衆議院選挙におけるこの県の不成績も、この指導の両翼への動揺と結びついております。
また、最近、中央委員会は、熊本県党組織におこった処分問題や機関紙活動をはじめとする党機関の指導を点検した結果、事実にもとづかない不当な処分がおこなわれたこと、およびその基礎としての官僚主義的な指導の傾向を明らかにしてその克服をよびかけました。熊本県党組織は、第七回党大会当時からみれば、党員と「赤旗」本紙約十倍、日曜版約六十三倍などの大きな発展水準に達しており、 最近停滞傾向にあるとはいえ、こうした前進をかちとったことについては、県委員会の指導上の積極的な役割をみとめなければなりません。しかしながら、この数年来、未固定紙の無理な保有をつづけさせるなど、県委員会の指導傾向が極度に一面化して、 こうした一面的な指導への不満を契機として離党した元党員を反党分子として大々的に非難したり、すでに機関紙読者の拡大目標を達成した細胞にたいしても、機関紙拡大をあくまでも重点とするようもとめ、それに批判的意見をいったということなどを契機として、いくつかの理由をあげて、ある同志を処分するといったことがおこりました。
これらの処分理由は、点検の結果、いずれも根拠がないことが明白になりました。また、事実上の買取りをもとめてかえって基礎組織の積極性をよわめる一面的指導、大衆団体の自主性を十分尊重しない欠陥、財政問題の重大化、学習・教育活動の軽視、幹部政策における適切な配慮の不足、集団指導の不十分さなども明らかになりました。これらの問題については、最近書記局員数人をふくむ有力な調査団が相当長期にわたって熊本県に滞在し、問題の全面的点検をおこない、統制委員会とともにその処理にあたりました。
ここからくみとる教訓の一つは、党中央がつねに全党の活動状況を把握することを保障するために、報告制度などを整備するとともに、下級組織は欠陥や困難をもすすんで報告し、それにもとづいて党中央をはじめ指導機関がすみやかな点検、指導をおこなうことが必要であります。また、党員の指導にあたって、処分問題をあつかう場合にはとくにそうですが、事実の綿密な調査と深い思慮が必要だということです。この思慮を欠いてことをおこなうならば、事実にあわず、道理にあわないことになって、その決定は当事者の苦しみはもちろん、党にとって非常に有害なものにならざるをえません。
この問題をつうじて中央委員会自身が指導上の教訓としているものは、とくに処分問題の点検などにあたっては、先入観にとらわれず、機関および被処分者の申し立てなどを事実にもとづいてそれぞれつきあわせ、 それぞれの側にただしてまず事実を明確にすることがとくに重要であるという点であります。そして点検にはいった同志たちは、個人的な意見をもっていても、点検者を派遣した機関として集団的な決定をするまでは、それを現地において勝手に口外してはならないという点であります。もしそれをまもらないならば、 中央自身が、正確な事実の確認、および各級機関と党員を真に正しい基礎のうえに団結させるという配慮を欠くことになります。
そして、もちろん、慎重ではあっても、できるだけ早期に問題を処理するために力をそそがなくてはなりません。
熊本県党組織の処分問題は、解決にはかなりの日時を要しましたが、被処分者の上訴を、統制委員会が初期の段階で誤って十分な審議をつくさないで却下し、しかも定められていた党中央委員会書記局の確認をえないで独自に被処分者に通達したというような誤りもありました。この誤りは、今回の処分問題の解決のなかで明白にされましたが、今後、統制委員会の充実をはかり、ふたたびこういうことがおこらないようにする決意であります。しかし統制委員会は、その他に少なからぬ事件を処理しましたが、もちろん他の処分にかんしては全体としてはその活動は正しかったと党中央は考えていることも、念のため付言しておきます。
また、愛知の場合も同様ですが、こうした機関の重要な欠陥が発見されると、それまで機関の方針に忠実にしたがっていた同志たちが衝撃をうけて、自分たちの党勢拡大などの努力があたかもむだであったかのような印象をもつ場合があり ますが、そうではなく、多くの同志が多くの分野の活動で、党大会や党中央の方針に基本的には依拠しながら、党の発展のために奮闘したからこそ、そういう欠陥があっても党がなお、共産党の組織として活動し、その生命力を維持しているのであります。
またそういう欠陥があったとしても、その中間機関は、政策的には、たとえば選挙などにおいて、 日本共産党の全国的方針をかかげて他党派や反動的な諸勢力と積極的にたたかうという重要な歴史的使命を担当しているのであります。したがって、そういうときに、一致団結して全力をつくして奮闘したということは、日本共産党の党員としてもっとも誇りある活動であります。 こういう善意の多くの同志諸君の気高い努力を、積極的に評価するということは、その地方の党組織と党員のもっとも留意すべき問題点であり、そうでないと機械的な誤った敗北主義、清算主義の発生をふせぐことはできません。
ここでたちいって考えるべきことは、指導とはなにかということであります。 正しい指導とは、命令ではなくして道理に立ち、実情にあったもので、すべての党員を納得させるものでなくてはなりません。こうした納得をかちうることなしには、全党が自覚的規律によって結ばれるという保障はでてきません。つまり、党内民主主義を尊重するということと 同時に、集団的に決定された全国的方針および中間機関の方針には、意見があってもしたがうという前衛党としての自覚的規律の保持が大切なのであります。
党内民主主義を尊重せずにくだされる決定は、実情にそわないという欠陥をともないがちであります。 また、集団的な決定にしたがい、少数が多数にしたがい、決定されたことには意見があってもそれにしたがって活動するという規律がなければ、その決定そのものを実践のなかで検証する保障もでてきませんし、党は理論と実践の統一を保持することもできなくなります。
しかし、指導機関としてとくに留意することは、 決定が下級機関や一般党員を拘束するという重大な性格をもっている 以上、下部組織や党員の実情をよくつかみ、その意見も十分にきいて、全力をつくして正確な決定をするということであり、いそいで不正確な決定、 実情にそわない決定をつくりあげてはならないという点であります。
もし、不正確な決定をくりかえすならば、その機関は当然信頼と権威を失わざるをえません。わが党は、足かけ四年間にわたる全党的討議をつうじて綱領を確定しましたが、その後中央委員会が一番腐心したことは、一つひとつの方針、決定において、誤った決定、不正確な決定をださないために全力をつくすということでありました。これは当然のことであるけれども、つねに、多くの事件が生起するなかで正確な決定をするということは、けっして容易なことではありません。四・一七ストにさいしてのような誤りがおこったのは、 集団的な正確な決定をだすための綿密な配慮と検討が特殊な 事情があったとはいえ欠けていた結果であります。したがって、民主と集中の正しい、原則にもとづいて、考えぬいた指導、正確な方針の樹立と処置ということが指導の根幹であります。
もちろん、党規約は、上級機関の決定が下級組織の実情にあわないとみとめた場合にとりうる措置をさだめています。また、どんな決定にたいしても、それと異なった意見をもったり、あるいは疑問をもった場合、規約は、党員がこれについての質問、意見をだす自由を保障しております。この期間中、党中央にも二百十件ぐらいの質問や意見がきています。これにたいしてはできるだけ答えるようにしていますが、しかしその処理はかならずしも十分とはいえません。処分問題についての上訴は統制委員会があつかうという規約の規定がありますが、今後は一般の質問、意見については、これを独自に集中的にとりあつかう専門機関を設けて、できるだけ敏速に答える処置を制度的にも保障するようにしたいと中央委員会は考えております。
中間機関の活動のなかでいま一つ注意しなければならないのは、地方議会の議員団にたいする指導の問題であります。議会の事情は、各党派の関係がからみあって複雑でありますし、非常に変化のはげしいものですから、機関の指導は老練でなくてはなりません。一部の党機関ではかならずしも老練でない指導、また、老練でないだけでなくて、日常的に議員にたいする系統的な指導がとぼしいという傾向が訴えられております。 わが党が大きな党に成長してきた今日、いっそう機関が議員やグループの実情をよくつかみ、党内外にたいして道理と節度のある態度でつねに活動して、官僚主義の傾向におちいらないということを、とくに警戒する必要があります。
党外の人びとにたいして、機関および一人ひとりの党員がどのような態度で接するかは、きわめて大切なことであります。党外の人びとからみれば、共産党とは、すなわち自分のまわりにいる共産党員の姿であります。もちろん、テレビや 新聞などをつうじて党の方針や考えをときたま知る機会があるとしても、まわりにいる党員や党機関の姿以外には、この人びとには共産党はみえないのであります。それに、五十年近くの党の歴史のなかで、党にたいするさまざまの不当な弾圧や反共宣伝がくりかえされ、少なからぬ国民のあいだにその影響がのこっている状況のなかでは、一人ひとりの党員の正しい姿こそ、反共デマをうちやぶっていく、もっとも生きた役割をはたすのであります。そうした場合、機関や党員が正しくない行動をとって大衆から非難をうけることは、それだけわが党の建設をおくらせるだけでなく、日本の革命運動の前進に有害な影響をあたえることになります。このような状態をふせぐためには、よく学び、よく考えるということを基礎にして、正しい党風を確立して基礎組織の党活動をすすめ、党員が確信をもって結集できるような状況をつくらなければなりません。そうしてこそ、その党組織がほんとうに周囲の党外の人びとと、正しい多面的な結びつきを実現すると同時に、信頼をかちとることができるのであります。