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【資料】V・I・レーニン「党の統一とアナルコ‐サンディカリズム的偏向とについての報告の結語」(ロシア共産党(ボ)第10回大会 1921年)

レーニン

素材 レーニン PD

党の統一とアナルコ‐サンディカリズム的偏向とについての報告の結語

三月十六日 

 同志諸君、われわれはこの席上で、信じられないほどひどい言葉を聞いた。そのなかでもっともひどいのは、われわれの決議案は中傷だという非難であったとおもう。だが、世の中には、自分で馬脚をあらわすようなひどさもある。諸君は手もとに決議案をもっていられる。ご承知のように、われわれは「労働者反対派」の代表者をふたり中央委員会に受けいれ、「偏向」という表現をつかった。私はこの表現の意義を強調する。シリャプニコフも、メドヴェーデフも、これ以外の言葉を提識しなかった。われわれがここで批判したテーゼは、あらゆる色合いの代表者からも批判された。それなのに、どうして中傷呼ばわりができるのか? もし、事実上反駁されている見地をその人々のものだとしたのなら、このひどい言葉も意味があるであろう。いまのところ、これは、ある種の憤慨の表明にすぎない。これはふまじめな反論である!

 つぎに、この席上で意見が述べられた点にうつろう。「民主主義的中央集権派」にたいして不公平な態度がしめされたという指摘があった。この席で「民主主義的中央集権派」の代表者たちは中央委員の選挙の問題に触れたが、諸君は、この問題については、各グループ間の申合せが進捗し、意見が交換された経過をここで見まもってこられた。ご承知のとおり、「労働者反対派」の全員とすべての色合いを代表する幾多の有数な同志が参加した特別の会議いらい、たとえば私にしても、「労働者反対派」と「民主主義的中央集権派」の代表者がわが中央委員会にはいることがのぞましいと、公然と言明してきた。「労働者反対派」の同志の全員とすべての色合いの代表者とが出席した会議で、だれもこれを反駁したものはなかった。たとえ、その結果、「民主主義的中央集権派」からは、中央委員ではなくて中央委員候補がはいったにせよ、これは、グループ同志の長い意見の交換と申合せとの結果であった。このことを「民主主義的中央集権派」にたいするなんらかの不信または不公平と見るのは、言いがかりにすぎない。われわれは中央委員会で、公平でありたいという願いを強調するために必要なことはなんでもやった。これは、抹殺しようのない事実である。それだのに、不公平だという結論を引きだすのは、言いがかりである! また、たとえば「民主主義的中央集権派」の一同志は、決議案第七項は必要ではない、中央委員会はその権限をもっていると論じた。われわれは、第七項を公表しないように提議している。というのは、この条項を適用する必要はおこらないものと、おもっているからである。これは非常措置である。だが、「民主主義的中央集権派」の同志が、「諸君は規約によってその権限をもっている」と言うのには、規約を知らず、民主主義的中央集権制の原則を知らず、中央集権制の原則を知らないものである。大会で選挙された中央委員会が中央委員を排除する権限をもつというようなことを、どんな民主制も、どんな中央集権制も、けっしてゆるさないであろう。(「党を通じておこなうのだ」という())とくに党を通じておこなうことはだ。大会が中央委員会を選出し、これに最高の信頼を表明し、これに指導権をゆだねる。そこで、中央委員会が自己のメンバーにたいしてそういう権限をもつというようなことを、わが党は、かつて、どこでもゆるしたことはない。これは非常措置であって、情勢が危険なことを意識して、とくに適用されるのである。同一の表決権をもつ中央委員、プラス同候補、プラス統制委員の特別の会議が、構成される。このような機関、四七名からなるこのような総会はわが党の規約にはなく、われわれの実践でもかつて適用されたことがない。だから、くりかえしていうが、「民主主義的中央集権派」の同志諸君は、規約も、民主主義的中央集権制の原則も、中央集権制の原則も、みな知らないのである。これは、非常措置である。われわれがそれを適用するばあいはおこらないものと信じる。これがしめしていることは、一方のがわが分裂をおこしかねないような意見の相違があるばあいに、いま諸君が聞かれたことを、党が適用するということにすぎない。われわれは子供ではなく、苦しい時代を見ており、分裂を見ており、それを経験しており、分裂がどんなに苦しいものであるかを知っている。そこで、われわれは、危険をあからさまにみとめることをおそれないのである。

 これまでの大会では、どんな激しい意見の相違があったときでも、一方のがわが分裂に言及するような瞬間があったろうか? それはなかった。いまはそういう瞬間があるだろうか? いまはある。こうしたことはみな、なんども指摘された。そこで、この意見の相違とたたかうことができると、私は考える。

 さらに、統一はこのような決議によっては達成されるものでないとか、この決議によれば批判はかならず、もっぱら県委員会を通じてなされなければならないことになるとか、「労働者反対派」の同志たちにたいしてある不信が表明されたようなものだから、彼らが中央委員会に列席するのはむずかしくなるとかと言われた。だが、これもまったく事実でない! 私ははじめから、「偏向」という言葉をえらんだ理由をしめしておいた。もしこの言葉が諸君の気に入らないなら、この決議案を議長団に付託して、これを基礎として、できるものなら表現をやわらげるがよい。もしもっとおだやかな言葉が見つかれば、私は、「偏向」という言葉の代りにするように、また他の個所【ママ】でも表現をやわらげるように、提案したい。われわれはそれには異議をとなえないであろう。いまここでは、もちろん、そういう細かいことにかかわっている暇がない。決議案を議長団に付託して、文案を練り、表現をやわらげてもらうことにしよう。そこで表現がきつくなるというようなことはありえない。私はこれには異議をとなえまい。だが、この決議案は党の一部分を他の部分にけしかけることを意味すると言うものがあれば、それはまたしても事実でない。

 私は、サマラにおける「労働者反対派」の顔ぶれを知らない。同地には一度も行ったことがないのである。だが、どの色合いのものにせよ、だれか中央委員が、あるいは「労働者反対派」以外のどの色合いのものでも、だれかこの大会出席者のひとりが、サマラ組織の会合で、この決議にはけしかけはなく、あるのは統一への呼びかけだということを証明しようとおもえば、その人はそうできるであろうと、確信する。この席で「けしかけ」というような表現をつかう人々がいたが、彼らは、統一についての決議案の第五項をわすれているのである。この第五項には、「労働者反対派」の功績をみとめると述べてある。そこには、このことがならべて書かれているではないか? 一方では「偏向をおかしている」。だが、他方では、第五項を読んでみたまえ。「大会は、それと同時につぎのことを声明する。すなわち、たとえば、いわゆる『労働者反対派』の特別の注意を引いた諸問題、すなわち、非プロレタリア的な、信頼のおけない分子を党から粛清することとか、官僚主義との闘争とか、民主主義や労働者の自主活動を発展させること、等々の問題についての実務的な提案は、どんなものでも、もっとも注意ぶかく研究」……「しなければならない」と。これがはたしてけしかけであろうか? これは功績の承認である。一方では、諸君は討論にあたって、政治的に危険な偏向をあらわした、そして、同志メドヴェーデフの決議案さえ、別の言葉でこのことをみとめている。だが、そのさきのほうではこう言っている。官僚主義との闘争については、まだできるかぎりのことをやっていないということに、われわれは同意する、と。これは功績の承認であって、けしかけではない!

 中央委員会に「労働者反対派」に属する同志を入れるということは、同志的信頼の表明である。そうである以上、だれかが分派闘争にあおられていない集会にいくとすれば、その集会は言うであろう。ここにはけしかけはなく、あるのは同志的信頼の表明である、と。非常措置そのものについて言えば、これは未来のことであって、われわれはいまそれを適用しようとしてはおらず、いまは同志的な信頼を表明している。もし、われわれが理論的にまちがっていると諸君が考えるなら、わが国には、小冊子を何十冊でも発行する可能性がある。また、もし、たとえばサマラ組織の同志のように、この問題についてなにか新しいことを言いたい若い同志がいるなら、どうぞそうしてくれたまえ。サマラの同志諸君! われわれは諸君の論文をいくつか印刷しよう。大会で言われることと、大会の外で言い合っていることとの区別がわからないようなものは、ひとりもいないではないか。もし諸君が決議案の正確なテキストを照合してみるなら、ここでは理論上の原則的な指摘がなされているのであって、侮辱的なものはなにもなく、また、それとならんで、官僚主義との闘争における功績の承認と、援助を受けたいという願いの表明とがあるということが、おわかりになろう。そのうえ、このグループの代表者を中央委員会に入れているのであるが、これは、党内でそれ以上のものはありえない最高の信頼の表明である。同志諸君、以上の理由で、私は、この二つの決議案を採択するように、しかも記名投票によって採択し、そのあとで、これを議長団に付託して、文案を練らせ、定式の表現をやわらげさせるように、提案する。そして、議長団には同志シリャプニコフがはいっているので、たぶん、彼が「偏向」という言葉のかわりに、もっと適当な表現をみつけてくれるであろう。

 また、辞任声明について言えば、私はつぎの決議を採択するよう提案する。「大会は、解散された『労働者反対派』の全員に、党規律に服従するように呼びかけるとともに、委任された部署にとどまる義務を彼らに負わせ、同志シリャプニコフの辞任をも、その他いかなる辞任をも受理しない」と。

レーニン全集第32巻 マルクス=レーニン主義研究所訳 大月書店 1959年
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