日本共産党第19回大会第2回中央委員会総会への宮本賢治議長の冒頭発言(1990年)

冒頭発言


大会後の政治的事件とわが党の先進的な対応


中央委員会議長宮本顕治


 みなさん、ごくろうさまです。第十九回党大会後、四ヵ月余が経過しました。この間はたいへん多忙な政治的事件がおこりまして、わが党はそれにたいして積極的に対応してまいりました。はじめに党の諸活動について簡潔に申します。

協力法案廃案の歴史的勝利と沖縄知事選


 まずイラク問題がありました。政府の「国連平和協力法」案がいわばクーデター的な形でだされましたが、国民とともにわが党はたたかって、これを廃案においこむことができました。これはひじょうに大きな歴史的勝利であります。
 これにたいして中央委員会の諸機関は、機敏に、また、的確に対応いたしました。このたたかいは日本国民の侵略戦争と軍国主義への反発のエネルギーがひじょうに大きいということをしめしましたし、また自民党側は、このエネルギーを過小評価していたことを暴露したと思います。これらの活動のなかで、わが党は先進的活動をしたわけであります。そして国民の多くの方がたが決起されて、全党も奮闘いたしました。この国民大衆の決起と全党の活動に、私は敬意をささげたいと思います。
 つづいて最近は沖縄県知事選挙の勝利がありました。これは情勢がら、平和と独立、自衛隊の海外派兵反対というひじょうに明確な問題を争点としてたたかわれ、かつ、統一の力がおおいに発揮されました。この点についても、私はおおいに祝い、関係者の努力に敬意を表するものであります。

三党合意不参加の社会党のまともな判断と矛盾


 しかし、これらの経過にもかかわらず、残念ながら、自衛隊の海外出動の火種を残すという策動がおこなわれました。それは、自民党、公明党、民社党の三党の合意であります。三党合意の内容、性格からみて、自民党はなんとかこの火種を大きくして、最初の、彼らの「協力法」にもりこんだ方向を生かそうとしております。
同時に、この問題では、社会党がこの合意にくわわらなかったという点が特徴であります。 このことは、社会党側のまともな判断でありました。わが党は、議長あっせんに合意するという形で社会党をふくんだあの売上税の結末のような取引がおこなわれるのではないかと警戒しました。
 社会党のこの問題にたいする態度につきましては、社会党自身に一つの矛盾があるといっていいと思います。それは国連のPKOすなわち「平和維持活動」への社会党の全体的評価の問題です。社会党の「『国連平和協力機構』設置大綱」のなかには、「停戦監視団」に協力するという構想がはいっていますが、この「停戦監視団」は、事実上、武力をともなうことがしばしばあるわけですから、日本国憲法の立場と両立するとはいえないわけであります。むしろ両立しない方が多い。社会党の構想のなかには、非武装、そして民生問題にかぎるというような積極的な限定もあるのですが、このあいまいさがやはり自民党などに乗ぜられ隙を残していると思います。
 わが党は、社会党がこんご、まともな判断をつらぬくことを希望するものであります。自民党にとっては、社会党をひきこむということが最初からの作戦でしたから、この思惑がはずれたという点でショックだったようであります。これに関連して金丸氏が、三党合意に社会党がくわわらなかったことを理由にして、朝鮮労働党の代表を、自民党と社会党が合意でよぶという話をキャンセルしたといいました。これは、いわば、おとなげない態度であります。いくら金丸、田辺間の接近があるにしても、これはすこし見当ちがいであります。
 むしろ朝鮮問題にかんしていえば、問題点はどこにあるか。たしかにあの機会に、第十八富士山丸の紅粉船長や栗浦さんたちが帰国したということは結構なことであります。しかし、裁判が一度もなく拘留されっぱなしだったということが、思わずもれた談話のなかからうかがわれるように、ああいう拘留が正当なものとはわれわれも考えていなかったわけであります。ところが帰国にさいして、こともあろうに、事実上、この間のいきさつについては話さないようにという口封じがおこなわれたのです。もとは朝鮮労働党からでたにしても、日本の公党である二つの党の代表が、二人に、事実上枠をはめたという点は言語道断なことであって、まったく日本の政党としての自主性に欠けた反民主的態度であります。朝鮮問題といえば、このことをわれわれはいいたいわけであります。
 本日は、いわゆる大嘗祭の日ですが、周知のように党としては、もう天皇即位のことは昨年おこなわれているので、一連の儀式の中止を中央委員会として要求してまいりました。われわれもテレビでみたわけでありますが、古い伝統を生かすという名目で主権在民の実質上の否定の儀式がおこなわれているという点から、本日、あらためてわが党の態度を表明しておくものであります。

大会の成果を擁護するための闘争と党づくりについて


 第十九回党大会は、大きな関心と、全党の努力のもとに成功的におこなわれました。この大会ではわが党は、新旧の幹部がどういう基準で活動するのかということが、大会での「中央委員会の選出基準と構成」として発表されました。これは簡潔でしたが、ひじょうに内容のあるものでした。この点が、実践的にも多くの新幹部の抜擢によって実現されました。第十九回党大会後の活動で、わが党は情勢に機敏にたたかったということをさきに申しましたが、このなかでの新幹部の活動は、ただ志位書記局長が精力的な活動をしているというだけではありません。党の多くの新しい活動家が、たとえば「赤旗」評論特集版等に登場しどんどん問題を解明していくという先進的活動としても、発揮されました。評論版には、みなさんがはじめて名前を知るような活動家がつぎつぎに登場して、そして、いまの情勢が要求する問題、国連の問題とか、あるいは自民党のいまの態度、また、ソ連の動きなどを深く解明する点で積極的に活動いたしました。また、第十九回党大会後の努力としては、東欧・ソ連問題等に関連しての大衆のあいだに沈殿している「社会主義・共産主義崩壊」論の影響の克服の問題や、党内の日和見主義の潮流への政治的、理論的なたたかいの重視も大きな題目の一つでありました。九月十九日、二十日におこなわれた県・地区委員長会議で、不破委員長と志位書記局長の報告で提起された問題のなかに、この問題がありましたが、これは党内だけの問題ではないのです。同じようなイデオロギー的な発想は、ひろく社会進歩にたいする確信を失うとか、あるいは社会発展での先進部隊の役割を否定するものとしてあらわれています。はなはだしい場合には、日本共産党の存在意義はなくなったというような見方とか、少なくとも党が活動するとしても、党の性格は東欧このような指導性を失った党に近いものになることを要求するというものです。
 反動勢力は、党自身が存在するにしても無力な存在になることを希望して、そのためのキャンペーンをおここないました。しかし、これらの攻撃は、秘密警察の一連の筋書きと、一部の特別の反共マスコミの動向等にあらわれましたが、結果的には、民主集中制を否定する理論や主張、あるいは党指導部への漫罵等のキャンペーンは、理論的にも、政治的にも徹底的に反駁されました。
 党づくりでありますが、これはあとで報告がくわしくふれます。全党員を対象に、基本課程のマニュアル、手引にもとづいて新しい教育活動をするという方針です。短時間で現在の内外情勢の重要問題と党大会の精神を全党に徹底するというこの活動が、県・地区委員長会議での提案以後、自覚的な活動としてひろがっております。もともと教育活動については、わが党の過去の大会においてもひじょうに重視して強調してきました。たとえば第十八回党大会後の三中総では、教育活動のおくれと機関紙活動のおくれは党建設の二大欠陥といって特別に重視したわけですが、残念ながら、とくに教育活動については、まだ十分、成功しているとはいえません。こんどは本格的にやるということで、中央もとりくみをおおいにつよめて全党によびかけているわけであります。

反共攻撃の沈殿の意味


 つぎにこの間の選挙闘争の重要な意義についてのべます。いわゆる反共イデオロギーの沈殿というのは、なにも東欧とソ連の問題だけに限定した反共攻撃からだけではなくて、その後の日本の政治活動のなかでも、新しい形でさまざまなわが党にたいする攻撃がおこなわれています。それは、東欧・ソ連問題のように端的ではなくても、日本共産党のこれこれの考え方は狭いのではないかというような見方での攻撃があります。たとえばこんどの海外出兵法〟をめぐる論議や三党合意にたいする見方の問題等でも、「人的貢献」なるものへのわが党の態度にたいする批判があります。そういうものをふくめて反共イデオロギーというものは日々再生産され、沈殿しているのだということをきびしくみないと、情勢を甘くみることになるわけであります。

統一戦線の結成の努力と党の地盤強化を統一して


 愛知県の参議院補欠選挙の経験は重要でした。福岡県の場合とちがって、わが党が候補者をたてて自民党を少数派においこむという方針のもとにたたかいました。いまのように全国的、また地域的に統一戦線が成立していない状況のなかでの国政の補欠選挙、首長選挙のたたかい方は、ひじょうにむずかしいわけであります。当選者は一人です。しかし、いわゆる野党と称している他の党はわが党といっさい協力しようとしない。自民党とはいっしょにやるけれども、日本共産党とはやらない。これがこの間の国政の補欠選挙などの特徴でありました。
 愛知県の補選では当選者は一人でも、この選挙でたたかわれる主題は、やはり「国連平和協力法」と称する自民党の自衛隊海外出動法の是非であって、平和か軍国主義復活かという大きな題目が争われました。そういう点で、わが党が候補者をたて平和の票を最大限に結集して、同じくやはりこの法案に反対している他の野党とともに得票数の上では多数になる、多数にしなければならない、そのことによって一種の国民投票
的な結果をつくりだして、自民党をそれだけおいつめることができるということでたたかいました。死票論とか、その他のさまざまな、日本共産党の活動を有害なように宣伝する勢力の策動をうちやぶって、わが党の瀬古さんは二十一万七百八十五票を獲得し、共社をあわせて自民党より十七万票多い票を結集することができました。
だから、ただ候補者をたてるかたてないかということだけではなく、有権者の政治的意見を結集する、自民党を少数派においこむという点で、新しい前進があったわけであります。いまの問題で大事な点は、統一戦線をつくる努力と、わが党の地盤をつよくしていくこと、この二つの方向を統一してたたかうというのがこの方針の立場だということであります。
大会を前後して六ヵ月にわたる機関紙拡大月間がおこなわれました。今回、大会後も月間をおこなったことで、いままでは大会後機関紙の急暴落がおこったわけでありますが、これをくりかえさなかったという点で大きな意義があります。もちろん、目標からみれば成果は十分とはいえませんが、しかしともかくも大会時の水準を全党的に保持して、そして十月度も前進して今月を迎えたという点は大きな意義があったと思います。
以上のような情勢のなかで、議題についてはすでにお知らせしてあるように、今回は各分野にわたる詳細分析と展望をそれぞれの担当者が報告することになっていますので、みなさんがたも十分留意して討議していただきたいと思います。

情勢の見方の基本はなにか


 私はここでは、議題、情勢の説明だけでなく、二つのことを強調しておきます。その一つは、情勢の見方の基本はなにかという点であります。
 イラク問題に関連して、自民党筋は、戦後からもう四十五年もたったと、情勢が変わったのだから日本の憲法の拘束もそろそろゆるめていいのではないかと、日本はモノやカネだけでなくヒトも、世界の平和と安全のためには犠牲をかえりみずだすという態度に転ずべきではないかといっています。ヒトをだせというのは、血を流せと要求することと同じであります。もちろん、このモノやカネは日本にいくらでもあるようにいわれていますが、これはなにも海部首相のポケットマネーからでているのではなくて、みんな悪税と社会保障の削減など国民の犠牲でしぼりだされているということを、われわれはこの際、いう必要があると思います。
 ヒトをだせ、血をも流すべきであるという議論は、小沢幹事長とか山崎元防衛庁長官等からもいわれていますが、彼らはいわば自民党の戦後派の中堅であります。彼らもおおいに意気ごんで、いわば国会のクーデター的な突破がこの問題でくわだてられました。自衛隊の出動には反対だが、国連の「平和維持軍」への参加なら積極的に応ずべきだという一部の世論もありますが、これらはみな、ヒトによる貢献という点では共通する問題であります。
 しかし、ここで問われなければならないのは、いったいこの半世紀のあいだに第二次世界大戦の教訓としてとられた世界の人民の国際的な基本原則はなにか、それはいまも有効性をもっているではないかという基本問題です。その点が根本だという点であります。

国連憲章の基本目標、憲法の平和的原則は半世紀をへても生命力をもっている


 国連はご承知のように、「一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類にあたえた戦争」をおこなったという教訓から、国際の平和と安全の維持ということを徹底的に重視して、国際紛争はあくまで平和的手段で解決することを基調としているものであります。そのために民族自決権、各国主権の尊重等をつよく訴えております。
日本の憲法も、政府の国策で侵略戦争にまきこまれ、多大な犠牲を内外におしつけた反省にたって、軍事力の保持を禁止するというきびしい平和条項をつくったのであります。日本の現在の憲法は、主権在民の徹底という点では天皇制を残したという点でたしかに重大な欠陥をもっています。しかし、平和への確固とした立場というのは、第九条がしめしているように、国際的にも先駆的な意義をもつものであり、ある意味では模範であります。
 これらの点で、国連憲章の基本目標、ポツダム宣言、日本国憲法の平和的、民主的な基本原則は、半世紀をへても当然こんごとも発展・継承されるべき生命力をもっている重要な政治的基準であります。もちろん、過去の国連の歴史には、アメリカの要求でくわえられた個別的集団的自衛権の規定から、強大な米ソの軍事ブロックがつくられ、そういう状況下での国連の活動には、大国中心のゆがめられた側面もすくなくありませんでした。しかし、さきにあげた基本目標は、ひきつづききわめて有効性のあるものであります。

世界発展の民主的原理と科学的社会主義の学説の生命力と重なって


 それは世界発展の民主的原理というだけでなく、科学的社会主義の学説の生命力ともかさなっているという点が重要であります。科学的社会主義は、搾取と抑圧に抗する労働者階級と人民による社会発展の法則の探究とその実践の理論として当然、民族自決権、基本的人権の尊重を不可避なものとしています。ただ、重視するというだけではなくて、大きな実践の課題にしています。
 第十九回党大会当時、わが党は世界情勢の問題として、東欧・ソ連だけの事態に世界情勢を限定しないで、この半世紀に約百ヵ国、二十億の民族が独立したことの意義を強調しました。その意義は今日でもきわめて重要です。わが党がよってたつ科学的社会主義は、人類が進歩、前進、平和への方向、最終的にはいっさいの搾取のない、抑圧から解放される社会にむかっての法則的な前進方向をしめしている学説であります。このことはいままでも、わが党の活動家たちが学問的な探究としても、綿密に学説の歴史にもとづいて、究明しています。たとえば、不破委員長の『科学的社会主義における民主主義の探究――マルクス、エンゲルス、レーニンの活動から』という本も、その一つであります。
 自民党・反動派は、アメリカの要求するような人の犠牲をいとわない貢献をしなければ、日本は孤立する、孤立をさけるためには、アメリカの要求している貢献、血の犠牲もいとうべきではなったのだから、それぐらいのことはやるべきだといっています。そして戦前は侵略戦争だったが、いまはそうではないと強調しています。
 しかし、戦前の日本は、日独伊三ヵ国が軍事同盟を結んで、それが世界の新しい秩序だといって、侵略戦争に日本人民をかりたてたわけであります。いま事実上アメリカのいいなりになって、自衛隊までアメリカの軍事行動に参加させようということは、軍事ブロックによる戦争という点では、戦前の誤りのくりかえしになるわけです。日米軍事同盟があるから、アメリカが「世界の憲兵」であるから、同調しようというのは、軍事ブロックを結んだ昔の誤りのくりかえしです。
 国連もイラクへの軍事制裁ということは決定していないのですから、この際の戦闘行動というのは大義のない行動になり、同時に日本にとっては、日本の軍国主義の復活・強化ということにならざるをえないのです。

イラクの行動は資本主義世界に内在している覇権主義・侵略主義の中東版


 「ポスト冷戦」ということで国連におけるソ連のアメリカへの協調が顕著であるとしても、国連の真の理想は世界平和の維持であり、日本の憲法の立場とともに、それは国際政治を律するきわめて重要な有効性をもつ基準であります。イラクの侵略行動と人質作戦が世界の糾弾をあびているのは、まさに平和と民主主義という世界の公認の原則に正面から挑戦しているからです。しかも、われわれがよく注意する必要があるのは、これはまさに資本主義世界の出来事であって、資本主義世界に内在し、横行してきた、また、横行している覇権主義・侵略主義の中東版だということであります。
 情勢は、日本をふくめ世界各国が一致して承認しているイラクへの経済制裁の貫徹での平和的解決か、アメリカの指揮権下での軍事行動開始による悲惨な大戦争への突入かという岐路にたっています。このとき、日本の平和勢力の一翼としてのわが党の責任は大きいものがあります。同時にこの際、日本共産党中央委員会がさきに米ソ両国の大統領と中国政府ヘイラク問題の警告的な電報をうったことの重要性をおおいに強調したいと思います。わが党は、世界的にはこういう方向をとりながら、日本の広範な政治勢力と、平和愛好勢力との共同の発展をこんごとも念願するものです。

科学的社会主義の活動と日和見主義の潮流との関係


 もう一つの問題は、科学的社会主義の活動と日和見主義の潮流との関係です。この問題の報告が別におこなわれますので、ここでは、私自身が直接ふれてきた者として、この問題にふれたいと思います。

日和見主義潮流の発生の不可避性


 すでに一九二一年に、レーニンはつぎのようにのべています。「歴史上の独特な転換が生じるたびに、小ブルジョア的動揺の形態には、いくらかの変化が生じるが、この動揺はつねに労働者階級のまちかにおこり、つねにある程度、労働者階級のあいだにしみこんでくる」。これは「あたらしい時代、新しいかたちをとった古い誤り」という論文のなかで、彼がいっていることですが、この指摘は、今日も死んだ言葉としてでなく、生きたものとしてわれわれにせまります。
 考えますと、戦前のあの暗黒の時代にも、わが党の活動のなかには、天皇制イデオロギーにたいする屈服として、佐野、鍋山たちが獄中で転向声明をだしたときに、この日和見主義は大きな害悪を党内外にひろげました。戦後の「五〇年問題」の困難なときには、党の統一をもとめた側にも絶望のあまりとはいえ一部に「複数前衛党論」が発生して、これは克服されましたが、しかし統一を困難にしました。
 綱領を確定した一九六〇年代から後のわが党の活動についても、国内外で果たした重要な歴史的役割をみないで、アメリカの支配とむすびついた根づよい反動攻勢のなかで、わが党の選挙での後退や党建設のさまざまな弱点を主として批判の題目にし、党活動の自覚的確信を欠いた潮流が発生しました。この潮流は、しばしば西欧のマルクス主義研究の影響をうけて、資本主義国家の階級性、国家の階級性論に基本的な疑問をもち、社会主義的「多元主義」の主張と結びついて、前衛党の役割、その構造と運営原理としての民主集中制を否定視しました。
 しかし、戦後の共産主義運動の実際が、共通の巨大な害悪として直面したのは、ソ連、中国などの大国主義・覇権主義でありました。わが党は、ソ連無謬論に屈せず、自主性をまもって、これらの覇権主義にたいしてたたかいぬきました。また国内的にも根づよい反共分裂主義に抗して、日本の革新統一戦線の全国的、および地域的結成のために不屈に活動したのであります。こういうわが党の内外における社会の進歩的民主的前進のための歴然たる貢献を日和見主義の潮流は、いっさいみようとしない、それが特徴でありました。

わが党の活動に誇りをもつ基準で、党員研究者の大同団結をくりかえしよびかけ


 私はこの問題に深い関心をもちまして、近くは三回、一九八六年、八九年、そしてことし九〇年の「赤旗」新春インタビューで、この問題を語ってきました。これらの文献は資料として、みなさんに配ってありますので、ここでは簡単にその立場についてふれます。
 戦後第二の反動攻勢への基本的態度にふれ、方針が正しければそれは簡単に実現できるはずだ、それが実現できないのは方針や指導がまちがっているとする観念論史観を反動攻勢への敗北の結果として分析しています。
 一九八六年当時の潮流としては、原水禁ブロックへの一部分子の投降、皮相な憲法論議からの党の民主集中制の否定、日本共産党を反動勢力の補完物とした市民グループ「日市連」への共感、国政選挙三人区では社会党を当選させるために日本共産党は立候補すべきでないというような一連の敗北主義などがありました。私はそれにたいして、「こういう傾向は理論的にはきわめて幼稚なものですが、やはり近来の情勢、第二の反動攻勢が、党および革新運動のなかの弱い部分を腐食させて、彼らの側のとりこにしていくということは、一つの歴史的傾向として起こりうるし、現に一部ではあるが起こっている」とみたわけであります。また一九八九年のインタビューでは、わが党にはたくさんのまじめな学究がいるとして、つぎのようにのべました。学者、研究者はいろいろな意見をもっているし、学者、研究者には得意な研究分野がある、そういうことで学問はすすむものだが、わが党は学問、科学の発展をひじょうにのぞんでいる。そのうえで、それぞれの分野はあるけれども党員として、また学者、研究者としてその研究がまともなものであることをめざすとともに、日本共産党が、内外の社会発展の中で活動していることに基本的な誇りをもつかどうかが試金石であること、学問上の問題、研究上の意見が党の到達点とかならずしも一致しないという場合があっても、そういう党員としての誇りをもつことができるならばここで大同団結することができるのだとのべました。
 ことしのインタビューでは、その点をさらに発展させて、わが党の一部にあった弱点の問題を指摘しました。それは研究上の意見の不一致があると、すぐそれを拡大して、敵対的矛盾のように考えて、不当に溝をひろげすぎるという問題です。
 そうでなく、やはりさきの基準からの、大同団結という立場をとるべきであると強調しました。そしてかさねて研究者、学者たちにも、そういう立場での対処をもとめたわけであります。しかし残念ながら、日和見主義の潮流に深く足を落とした人は、くりかえしのよびかけにもかかわらず、まともな自己検討にいたらなかったようであります。

ことなかれ主義や官僚主義でなく、理論的原則的な対応を


 これらのインタビューでのよびかけは、もちろん党中央委員会の決定としておこなったものではなく、個人として、新春インタビューという場でのべたものですが、それはわが党の科学的社会主義の立場の弱さのあらわれではありません。それはけっして、「まあまあ」というような無力な宥和主義的な対応でもないのです。
 党内のすべての知的エネルギーを正しく結集するための原則的で弾力性のある態度であります。党機関のなかの一部にも、これを宥和主義というように誤解したむきがあったようです。しかしそれは正しくありません。宥和主義という立場にたてば、日和見主義の潮流からのいろいろな攻撃にたいして、ただわが党の立場を弁明するという態度にとどまるのです。それではわが党が第十八回党大会、第十九回党大会でも強調しているように、理論的政治的に先駆的な解明を積極的におこなって、誤った見地を克服するという気概に欠けることになります。
 私はこれまでの文献にそくしてのべたわけでありますが、それは、党中央が最近、日和見主義の風潮に急に気がついて、急転換したものではないということを詳しく歴史的事実で証明するためであります。
 私の強調しておきたかった二つの問題をのべてきました。一つは、歴史の見方の基本はなにか、人類社会の発展の原理の有効性は、いまではもう古くなったとかたづけるべきものではないということです。もう一つは、日和見主義の潮流の発生の歴史的な不可避性、そして日和見主義との闘争の問題は社会発展のなかで
 科学的社会主義のような科学の原則をもって活動しようとするならばかならず直面する問題であり、「困ったことだ」ということで、事なかれ主義や官僚主義的なかたづけで終わるものではないということです。党中央委員会としては、そういうことを深く認識して、この中央委員会総会でこの問題がとくに議題とされる意味を、みなさんがよくつかんでほしいと思います。

二つの国政選挙、中間選挙、いっせい地方選挙での前進を


 さて、結びであります。わが党は海部内閣の打倒、国会解散総選挙を宣言している党です。国会解散を要求している党として、当然まだ候補者のきまってないところは、はやく決定して万全な準備の措置をとるべきであります。
 二つの国政選挙、一つはこの衆議院選挙ともう一つは一年半のちにきまっている参議院選挙です。自民党は一党支配維持のため、「政治改革」と称していろいろな選挙法の改悪をねらっています。これにたいするたたかいとともに、四ヵ月のちにせまっているいっせい地方選挙でわれわれは前進する必要があります。
 とくに反共宣伝、さきほど指摘したひろい意味での反共宣伝の沈殿ということを考えて、機敏に対応することが重要です。いっせい地方選挙だけでなく、それまでの中間選挙で一つひとつ前進していくことが、きわめて大事であります。この中央委員会総会では選挙についても詳しい討論をしたいと思います。
 中央委員会総会の会期は三日間ですが、重要議題が集中しています。本日はそれぞれの議題についてのたちいった報告がおこなわれます。みなさんがこの四ヵ月間の経験をふまえて、またそれぞれの展望を頭において、積極的に討議され、この総会が実のあるものになることを期待して、冒頭発言を終わります。
(「赤旗」一九九〇年十一月二十五日)

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