日本共産党第19回党大会決議(1990年7月13日)

日本共産党第19回党大会決議

第1章 世界と日本の現状と科学的社会主義の立脚点

1、東欧・ソ連などの事態と日本共産党の社会主義論

 前大会は、世界の共産主義運動と社会主義体制の基本問題について、全面的で率直な指摘をおこなった。科学的社会主義に逆行する覇権主義、大国主義についても、ソ連、中国の現状に即してきびしく批判し、わが党の積極的立場を表明した。そこでは、大きな憂慮の念をもって「社会主義国が厳格にその軌道を正確にする努力」を求めた。とくに「ペレストロイカ」がレーニンの理念の継続であるならば、「国際問題での様ざまなゆがみにたいして、躊躇なく勇気ある光が当てられるべきである」と強調した。

 東欧・ソ連などの事態をどうみるかの基本的見地は、この前大会の指摘のなかに大局的にはしめされている。

 いまおこっているのは、スターリン・ブレジネフ型の政治・経済体制とその覇権主義的なおしつけの破たんである。東欧の激変は、ソ連の大国主義的な支配や官僚主義・命令主義の体制の枠からの脱出であるが、誤りが重大でかつ長期にわたっていたために、それがただちに健全で自主的な社会主義の軌道にむかうということにはならず、資本主義への復帰やNATOへの移行、社会民主主義への転換をめざす傾向などをもふくむ、複雑な状況が展開している。これらの諸国が真に社会主義的な前途をきりひらいてゆくかどうかは、科学的社会主義の立場を堅持した真の自主的勢力がいかに成長するか、そして国民と結びつく努力をいかに精力的にすすめてゆくかどうかに大きくかかっている。

 日本共産党が、党綱領にもとづいて探求してきた社会主義論――大国主義、覇権主義にたいする徹底した批判、社会主義「生成期」論など――は、世界の社会主義国をどうみるかについての確固とした指針であるとともに、日本における社会主義の豊かを展望をさししめすものであった。

 とくに、わが党は、1970年の第11回党大会いらい、日本における社会主義的未来の展望が、民主主義の発展的な継承という点で、ソ連や中国のそれとはまったく異なるものであるべきことを、科学的社会主義のほんらいの立場の発展としてあきらかにしてきた。この見地は、76年の第13回臨時党大会で採択した「自由と民主主義の宣言」に集大成された。ここで提起されている複数政党制と選挙による政権交代制、三権分立、特定の思想に特権的地位をあたえる「国定の哲学」の否定、個人の基本的人権の全面的な尊重、民族自決権の保留なしの承認などは、日本の豊かな社会主義的未来への展望であると同時に、今日の東欧やソ連での籍の問題にたいする原則的回答を先駆的にあたえるものともなっている。

 また、一昨年の2中総、昨年の5中総で、わが党が提起した社会主義の四つの基準((1)生産手段の社会化だけではなく、個人のイニシアチブを尊重した弾力的、効率的な経済運営、(2)社会主義的民主主義の発揚、(3)他民族の民族自決権の文字どおりの尊重、(4)核兵器廃絶を緊急課題としてかかげる世界平和へのイニシアチブの追求)は、社会主義国の事態を分析、解明するさいの理論的基準をすえたものとしても重要を意義をもっている。

 日本共産党の社会主義論は、東欧・ソ連で激動がおこってから、その「解釈」のためににわかにつくられたものではない。そのはるか以前から科学的社会主義一のほんらいの立場と党綱領の路線を基礎にして、なによりも日本社会の進歩的変革をめざす立場から自主的にねりあげてきたものである。そしてこれが、東欧・ソ連の事態にさいしても、少しもその基本的内容を訂正する必要がなく、いっそうの科学的生命力を発揮していることは、わが党の路線の真価をしめすものにほかならない。

2、科学的社会主義とは何か――学説、運動、体制

 1989年前半までの日本の一連の地方首長選挙に端的にしめされた日本共産党への共感と支持のひろがりを急変させたのは、89年6月4日、中国当局が民主主義を要求する学生・民衆の平和的な運動にたいして野蛮な弾圧をくわえた天安門事件であった。また89年後半からの東欧などの事態は、これまで社会主義を名乗ってきた政権や党の失敗だということから、90年2月の総選挙での日本共産党の前進をはばむ主要な要因となった。

 今日、科学的社会主義の理論と運動にたいして、世界でも日本でも、「社会主義・共産主義崩壊」論による総攻撃が大規模に展開されている。この攻撃の特質は、科学的社会主義の立場と日本共産党の存在そのものの否定に、最大の矛先をむけていることにある。それを攻勢的に撃破してゆくためにも、科学的社会主義とはそもそもなにかという問題を、その学説、運動、体制という三つの見地から深くつかむことが求められている。

 (1)学説――人類の英知の集大成として不断に発展する科学

 科学的社会主義の学説は、人類の到達した哲学、経済学、社会発展の理論などすべでの価値あるものの集大成として生みだされ、その後も1世紀半にわたって人類知識の成果を不断に吸収しながら発展してきた科学的な世界観である。それは、マルクス、エンゲルス、レーニンがそれぞれの歴史的時期に解明した範囲内にとどまるものではなく、情勢の展開と人間知識の前進とともに、不断に発展する生きた学説である。日本共産党が、1976年の第13回臨時党大会で「マルクス・レーニン主義」との呼称をやめたのは、そのためである。

 この学説は、今日の世界と日本の現実を分析し、社会進歩の展望をみいだすうえで、くつがえすことのできない新鮮な科学的生命力を発揮している。搾取と抑圧に反対する人民のたたかいこそ歴史をつくる原動力であるという史的唯物論の見地と、資本主義の搾取の仕組みを解明した剰余価値学説は、現代世界の本質的理解のために欠かすことのできない科学的指針となっている。「社全主義・共産主義崩壊」論と一体のものとして、いま「資本主義万歳」論がしきりに流布されているが、これは世界の資本主義の現実を無視した議論である。最大の資本主義国アメリカでさえ、数百万のホームレス、都市の荒廃、貧富格差の未曾有の拡大、資本の生産からの撤退と経済の「空洞化」など、独占資本陣営のあいだにさえ危機感が強いのが実情である。科学的社会主義の学説にたって、資本主義の搾取と抑圧の現実、その矛盾と限界を、動かしがたい事実にもとづいて告発することは、日本のような発達した資本主義国で活動する党にとってきわめて重要な仕事である。

 人類の生みだした価値あるすべてのものを継承・発展させるという科学的社会主義の基本的な立場は、自由と民主主義の問題でもつらぬかれている。マルクス、エンゲルスは、その革命的な生涯をつうじて、人民主権や議会制民主主義をはじめ、近代民主主義のもっとも一貫した擁護者として活動した。また、彼らは、民族の主権と独立の確保が、社会進歩と国際協力の不可欠の前提であることを強調し、いっさいの民族的抑圧に反対して奮闘した。とくに、社会主義の道にふみだした国ぐにが「社会主義」の名のもとに他国に干渉することにきびしく反対したエンゲルスの言葉は、今日の東欧などの事態をみるとき、切実な重みをもっている。

 (2)運動――各国の実情にそくした社会進歩への法則的働きかけ

 科学的社会主義の運動は、頭のなかでえがいた理想社会を社会におしつけるのでなく、その学説にみちびかれながら、社会の現実の矛盾を明らかにし、その矛盾を人民にとってよ強い方向に打開する法則的な道筋にそって、必要な段階をへながら社会変革をすすめるどいう上ころに根本がある。この運動は、各国の実情に即した各国での自主的運動としてこそ前進できる。

 戦前、日本共産党は、絶対主義的天皇制と侵略戦争に反対して、主権在民の民主主義、平和日本の樹立をめざして、あらゆる迫害に抗してたたかいぬいた。戦後も、わが党は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配が、国民にたいする苦難と日本の社会発展の障害をつくりだしている現状のもとで、資本主義の枠内での真の独立と民主主義の徹底を当面の任務とする綱領路線を確立し、それにもとづくたたかいを発展させてきた。そのときどきの日本の現実をふまえ、すぐに社会主義をめざすのではなく、日本の社会が当面した諸問題を国民多数の利益にそって打開する方向をさししめしてたたかってきたわが党の立場の正しさは、歴史の歩みによっても証明されている。

 日本共産党のこうした立場の先駆性は、日本の社会民主主義勢力がこれらの問題でとった立場と比較するといっそうきわだってくる。彼らは、戦前、日本資本主義の発達を理由に社会主義革命論をとなえ、絶対主義的天皇制とのたたかいを回避した。この立場は、侵略戦争への協力の立場にもつながっていった。戦後においても、社会民主主義勢力は、反独占社会主義革命を主張し、日本の真の独立の課題を回避するとともに、独占資本に反対する民主主義的なたたかいをも否定する立場をとった。「社会主義」をとなえながら、当面の社会発展のいちばんの障害には目をふさぐというのが、戦前・戦後に共通する彼らの立場であった。今日の社会党の右転落は、こうした弱点とも深い関連をもっている。

 日本における科学的社会主義の生命力が試されるのは、外国の事情のあれこれではなくて、科学的社会主義を指針とした日本での現実の運動が、日本社会の法則的な発展に貢献しえたかどうかによってである。日本共産党の戦前・戦後68年の歴史は、この党が、そのときどきの国民の根本的利益の戦闘的な擁護者であり、日本社会の合法則的な発展の科学的な促進者であったことをしめしている。

 (3)体制――レーニンの探求とその後のゆがみ、本格的前進は今後の課題

 現存の社会主義体制をみるさい、レーニンが指導したロシア革命の最初の時期と、スターリンによる逸脱が開始されて以後の時期とを区別して分析的にみることが必要である。

 ロシア革命は、第1次世界大戦からぬけだす平和のたたかいと結びついたものであり、資本主義の発達のおくれというマルクスも予想しなかった困難な条件を最初からになっていた。そういう条件のもとでも、革命勝利の直後に、レーニンの指導のもとにとられた無併合・無賠償の平和、旧ロシア帝国の支配下にあったすべての民族の独立の自由の尊重、帝政ロシアが略奪した領土の返還などの国際政策は、世界の被抑圧民族と勤労者の支持と共感をかちとり、世界政治の全体に大きな影響をあたえた。また、8時間労働制や有給休暇制度、医療無科化をはじめ社会保障制度の創設、国民の教育権の保障、男女同権の保障などの国内政策は、社会主義の先駆性をしめした画期的な事業であり、人民の闘争をつうじて資本主義諸国にもやがてとりいれられていった。これらは、社会主義国ならではの制度的優位性をしめすものとして、レーニンの死後も基本的にひきつがれ、実行されていった。

 科学的社会主義の原則にたったレーニンの探求は、彼の死後、スターリンらによってゆがめられ、ソ連の体制は、対外的には大国主義・覇権主義、国内的には官僚主義・命令主義を特徴とする政治・経済体制へと転換させられていった。ソ連が第2次世界大戦において、多くの犠牲をはらいながらもファシズムをうちやぶったことは、人類の歴史にたいする巨大な貢献であった。しかし、ソ連の体制のこうした否定的な特質は変わらず、この大戦の後、スターリン型の体制はソ連による軍事的制圧を背景として東欧諸国にもおしつけられ、ス夕-リン死後も長期にひきつがれた。ブレジネフの時代には誤りの新たな拡大もみられた。

 スターリンの覇権主義的な支配から、早い時期にぬけだしたのは、東欧ではユーゴスラビアだけだった。ユーゴは世界政治のうえで、非同盟諸国首脳会議の最初の提唱国、主催国になるなどの業績を記録しているが、「生成期」にともなうこの国独自の矛盾や困難をまぬがれることはできなかった。体制としての社会主義の問題については、日本共産党は、本格的な社会主義、共産主義はまだ地球上に実現していないことを早くから明確にするとともに、日本における社会進歩の展望はあれこれの社会主義国をモデルとするのではなく、自由と民主主義を全面的に継承・発展させた日本流の社会主義をめざすことを、明らかにしてきた。

 レーニンの指導下のソ連での実践がしめした体制としての先駆性・優位性は、それをゆがめたスターリン・ブレジネフのおしつけの破たんが東欧の激変によってあらわになったからといって、清算主義的に否定されるべきではない。日本共産党は、科学的社会主義の生命力が体制的にもかつて発揮されたことに確信をもちつつ、体制としての本格的な前進は今後の課題であること、それだけに発達した資本主義国・日本で活動するわが党の役割が重大であることを自覚するものである。

第2章 日本共産党は世界にどう働きかけるか

 前大会いらいの世界情勢の大きな展開のなかで、日本共産党がおこなってきた国際活動は、歴史の法則的な発展方向にそった世界政治への働きかけとして、科学的社会主義の真価を発揮したものであった。核戦争阻止・核兵器廃絶への努力、軍事ブロックの解消のための問争、大国主義・覇権主義の克服、民族自決権の擁護、ソ連の「新しい思考」批判、一部社会主義国による反動政権・反共野党美化への批判、中国当局の軍事支配への批判、東欧諸国の一連の事態にたいする機敏な解明など、わが党がとりくんできた多方面にわたる活動の全体としての正確さは、世界情勢の展開そのものによって実証されている。

1、いまこそ核兵器廃絶、軍事ブロック解体の声をさらに大きく

 日本共産党は、前の党大会で、内外の反核平和運動の発展の方向をしめすものとして、核戦争阻止・核兵器廃絶のための反核国際統一戦線を具体化する展望をうちだした。「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名を中心とする「平和の波」が組織され、昨年の「第三の波」には71ヵ国が参加し、署名は150をこす国ぐににひろがった。日本の国内でも、「アピール」署名はこの2年半に2705万から3738万となり、非核宣言の自治体は1460をこえた。「非核の政府を求める会」もすべての都道府県につくられた。
 この間、ソ連指導部には、ゴルバチョフ書記長の「新しい思考」にもとづく重大な変化がおこった。「新しい思考」の主要な誤りは、全人類的利益と階級的課題という、ほんらい対置すべきでないものをわざと対置させる論法で、「全人類的課題」が階級的課題よりも優先するとしたこと、そしてそのことを口実に、平和と生活、民族独立と社会進歩のための各国人民の闘争をおさえるところにある。

 核軍縮問題では、1987年末のINF全廃条約につづいて、米ソのあいだで戦略核兵器削減についての一定の合意が成立した。しかし、アメリカは「核抑止力」論の立場からあくまでも核兵器に固執する態度をとりつづけている。ソ連は、「新しい思考」路線にたって、こうした帝国主義の政策に事実上屈服し、核兵器廃絶という根本的課題を後景におしやり、アメリカ帝国主義の許容する範囲での軍縮措置の追求に終始するようになっている。この立場が、核兵器廃絶を国際政治のうえでも第一義的緊急課題とし、各国人民の世論と運動で核兵器固執勢力を包囲するという、人民の運動の決定的な重要性を強調した日ソ両党共同声明(1984年)にそむくものであることは明らかである。

 しかも、ソ連は、こうした路線を世界の平和運動のなかにもちこんで、混迷と逆流をつくりだすとともに、また原水爆禁止世界大会から脱落して「原水禁」の妨害集会に代表をおくるなど、日本の反核平和運動に干渉と妨害の態度をとってきた。

 核戦争阻止・核兵器廃絶の運動の新たな前進をきりひらくうえで、被爆国日本における反核平和運動と日本共産党の役割はますます重要になっている。反核国際統一戦線への道をひらくためには、日本のように核兵器園執勢力ガ政府を握っている国で、核兵器廃絶の世論が優位にたつように運動をたかめ、それら各国の運動を基礎として国際的共同行動の発展をはかることがひきつづき重要である。

 核軍縮交渉で核兵器廃絶の課題を直接の問題にしない傾向が強まっていることにくわえ、ソ連が「新しい思考」を世界の大衆運動にもちこんでいる今日、かつての日ソ両党共同声明の正しい路線にそって、「平和の波」運動などをますます国の内外で強め、世界の反核平和運動の発展に貢献することは、急務である。

 今日、世界の軍事同盟が、巨大な核兵器で武装して対抗しあい、核戦争の危険の最大の根源となっているだけに、また軍事ブロックが加盟各国の主権を侵害する性格をもっていることがますます明らかになっているなかで、核兵器廃絶の課題と軍事ブロック解体の課題を結びつけて発展させることが大切である。

 1989年12月のマルタでの米ソ首脳会談は「冷戦終結」を宣言したが、これをもって軍事ブロックや戦争の危険が過去のものになったとするのは、国際情勢を根本から誤認したものである。たしかに、いま世界の人民のたたかいと世論は軍事ブロック体制の基盤を大きくゆさぶっており、東欧では、チェコスロバキア、ハンガリーからのソ連駐留軍の撤退も始まっている。しかし、この流れに逆らって軍事同盟の古い枠組みに固執する勢力の動きが強まっていることを正しくみる必要がある。

 アメリカ政府は、最近の一連の公式文書で、東欧やソ連の最近の変化を軍事ブロックによる「封じ込め」政策の勝利と位置づけ、NAT0と日米軍事同盟を柱とする軍事ブロック政策は不変であると強調している。彼らは、軍事同盟に固執する理由として、ソ連のひきつづく潜在的脅威とともに、「世界の地域的不安」「麻薬戦争」「テロリズム」など「その他の脅威」をあげ、「世界の憲兵」として行動する意図をあからさまに表明している。とくに、この3月に発表されたブッシュ大統領の「国家安全保障戦格」は「われわれの軍事力行使の要求が強まる可能性があるのは、ソ連ではなく、第三世界となるだろう」とのべた。アメリカ帝国主義が、その世界戦略の新しい矛先を軍事同盟の相手国だけではなく、軍事同盟に属さない国ぐににむけようとしていることは、60年代~70年代の各個撃破政策の歴史からも重視すべきである。グレナダ侵格につづくパナマ侵略、ニカラクアにたいする軍事的・政治的・経済的干渉など、諸民族の自決権をふみにじっているアメリカ帝国主義の侵略政策との闘争は、いよいよ重大な国際的課題となっている。

 対応するソ連の側でも、「新しい平和の体制」ができるまでは、軍事ブロックの体制が必要だとする現状維持論をすてていない。チェコスロバキアやハンガリーからのソ連軍の撒退も、要求されてからの受動的対応であり、率先して軍事ブロック解体への積極策をとろうとはしていない。ソ連が、世界平和のために社会主義国としてのイニシアチブを発揮しようというのならば、NATO諸国の状況がどうあれ、まずみずからの軍事ブロックを率先解体する方向にふみだすべきである。

 わが党は、昨秋の「ベルリンの壁」の開放にさいして、東西ドイツの双方がそれぞれの軍事同盟から脱退し、中立の立場にふみだすべきだと提唱したが、ドイツ統一の動きの進展とともに、この問題は避けてとおれない国際政治の焦点となってきている。

 米ソが軍事ブロックに固執する態度をとりつづけている状況のもとで、大国のあいだの交渉だけにまかせていては、軍事ブロックや核兵器のない世界が実現できをいことは明白である。ここでも世界の世論と運動の発展、とりわけ軍事同盟の加盟諸国でのたたかいの発展こそがそれを現実のものとする最大の力である。日本共産党は、核兵器廃絶と軍事ブロック解消を世界平和を実現するための第一義的な優先課題として、そのたたかいの発展にひきつづき力をつくすとともに、西側軍事ブロックの最大の拠点の一つとなっている日本での運動の前進をかちとるために全力をあげる。

2、大国主義・覇権主義克服はひきつづく闘争の課題

 大国主義・覇権主義を克服するたたかいの分野では、この2年半に、歴史の大きな進展がおこっている。東欧諸国でのソ連の覇権主義的な支配の破たん、ワルシャワ条約機構加盟5ヵ国首脳によるチェコスロバキア侵略の自己批判、アフガニスタン介入の誤りを認めたソ連の人民代議員大会の大会決議、ソ連覇権主義の宣伝機関に堕落した『平和と社会主義の諸問題』誌の廃刊などは、それぞれこの逆流を是正する重要な一歩をなすものであった。しかし、このことは、覇権主義との闘争が過去の問題になったことを意味するものではない。

 ソ連は、チェコ問題やアフガン問題について、内外の批判のたかまりのなかで一定の反省を余儀なくされたとはいえ、大国主義・覇権主義の誤りの本質的な自己批判はおこなっていない。1956年のハンガリー侵略については、いまだになんの反省も表明していない。わが党が年来要求してきた『平社』誌の廃刊も、覇権主義の宣伝機関としての役割を反省した結果ではなかった。これらは、現在のソ連指導部が、スターリン時代いらいの伝統的な巨悪である大国主義・覇権主義を本質的に自己批判する境地にはたっしていないことをしめすものである。

 ソ連の民族問題に重大な影をおとしているのも、大国主義にたいするこの無反省である。バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)問題も、その根本は、スターリンが、ヒトラー・ドイツとの秘密条約にもとづいてバルト3国を強制的に併合したことにあるが、ソ連指導部はその誤りを認めず、ソ連邦加盟諸民族の分離・脱退の自由を認めようとしていない。日本共産党は、リトアニア情勢の緊迫にさいして声明を発表し、ゴルバチョフ政権が軍事力の行使もふくむ威嚇と圧力をただちに中止し、いっさいの併合に反対し、諸民族の脱退の自由を擁護したレーニンの精神、科学的社会主義の原則にたちかえり、民主的、平和的な話し合いによってバルト3国問題を打開することをつよく求めた。ここに、問題を原則的に解決する唯一の理性的な方向がある。

 昨年6月におこった中国当局による天安門の武力弾圧事件も、彼らの大国主義、覇権主義と不可分の関連がある。政権を維持するために人民の平和的な運動への武力弾圧も辞さないという中国当局の無法な態度の根底には、「鉄砲から政権が生まれる」という指導「理論」があるが、この「鉄砲政権」論こそ、いわゆる「文化大革命」の当時、中国が日本をはじめ世界の各国に不当な干渉をくわえたとき、最大の指導「理論」としたものであった。中国共産党は、さきの日中両党関係の正常化問題でのわが党との交渉で、「文化大革命」当時のわが党と日本の民主運動にたいする乱暴きわまる干渉を干渉と認めず、こうした干渉の産物である反党集団、反党分子との関係を断絶しないという理不尽きわまる態度をとりつづけた。そして、これをわが党がうけいれないと、みずから申し入れてきた会談を一方的にうちきるという、国際舞台での民主的な常識もわきまえない異常な態度をとった。昨年の武力弾圧事件と、わが党にたいする覇権主義的態度の継続とは、民主主義の否定という点で、まさに同根のものであった。

 大国主義・覇権主義は、重大な矛盾と破たんをきたしながらも、なお世界進歩への重大な逆流として、きわめて有害な役割をはたしている。この歴史的な巨悪を根絶してゆくうえで二つの社会主義大国などから乱暴きわまる干渉をうけながら、それに屈せず、自主独立の立場からあらゆる大国主義・覇権主義と正面からたたかいつづけてきた日本共産党の国際的責務は大きくかつ重いものがある。

3、「新しい思考」の名による協調主義とのたたかい

 ソ連で生まれた「新しい思考」については、わが党は、すでに第18回党大会で、その萌芽的なあらわれにたいして批判的警告をおこなっていた。その後の2年半のあいだに、「新しい思考」はきわめて急速な理論的「進化」をとげて、科学的社会主義の原則に反するその理論と実践を鮮明にし、世界の現実政治に、重大な否定的影響をもたらしている。

 すでにみたように、ソ連の最近の軍事ブロック合理化論、核兵器廃絶の棚上げ、平和運動への逆流のもちこみなどの背景には、アメリカ帝国主義との協調をあらゆるものに優先させる「新しい思考」があった。さらに、ソ連は民族自決権をふみにじったアメリカ帝国主義のパナマやニカラグアへの介入にたいしても、これらを事実上不問にする態度をとってきた。アメリカ帝国主義が「新しい思考」路線への支持を表明しているのは、この路線を、世界の帝国主義・資本主義の利益を助けるものと評価しているからである。「新しい思考」は、最近、社会主義と資本主義との「社会構造の共通性」を強調し、現代の資本主義を勤労人民の利益に合致するものとして美化するという、資本主義社会の現実にも反し、社会発展の展望をまったく見失った議論すらおこなっている。世界の平和と民族自決権、社会進歩をめざす運動の正しい発展をはかるためにも、「新しい思考」の有害な影響を克服するたたかいをすすめることは、ひきつづきわが党の重要な任務である。

 「新しい思考」は、ソ連の目先の利益にさえかなえば、それがどんなに他国の人民の運動に障害をもたらすものであってもよしとする「ソ連第一主義」と深く結びついている。その端的なあらわれが、ソ連共産党による日本社会党の美化問題であった。わが党は、1988年の日ソ両党定期協議と両党首脳会談、7月のソ連共産党中央委員会への書簡、2中総、3中総決定などで、この誤りを理論的にも深く究明して批判した。しかしソ連は、わが党の道理ある批判への反論もできないまま、社会党美化をつづけ、無原則的な美化の対象は他の反共野党や自民党、さらには謀略的・反社会的な反共組織である勝共連合(統一協会)にまでおよんで、その有害で妨害的な役割をいっそう露骨にしてきた。

 日本共産党は、ソ連のペレストロイカについて、当初はこれを期待をもってみ守る態度をとってきた。この間の官僚主義克服の努力、スターリン・ブレジネフ型憲法の民主的是正、歪曲された歴史の一定の見直し、通常兵器の削減などは、もちろん肯定的に評価できるものである。しかし、大国主義・覇権主義への本質的な反省がないことと、「新しい思考」による史的唯物論からの離反、帝国主義との協調という二重の誤りによって、ペレストロイカへの当初の期待は大きく裏切られている。これらの重大な誤りの克服は、ソ連が現在の混迷と低迷状況を脱して社会主義の名にふさわしい新しい発展をつくりだすためには、避けてとおることのできない問題である。

4、世界の共産主義運動の動揺と混迷にたいして

 現在、世界の共産主義運動のなかには、昨年来の東欧などの事態を科学的社会主義の立場から解明できず、動揺、混迷をつづけている状況が広範にみられる。

 東欧の事態の根本は、これらの国ぐにで、ソ連無謬論、ソ連絶対化論のはげしいおしつけとそれへの多くの党の追随という大きな誤りが、長年にわたっておかされてきたもとで、そうした政権党にたいする人民のきびしい反発によって、スターリン・ブレジネフ型の体制が破たんしたというところにある。

 資本主義諸国の党にも、これまでソ連無謬論の誤った立場を基本とし、「誤った情報によって判断を誤った」というだけではすまない、きびしい批判が求められている党が少なくない。

 また、いままでの誤りがあまりにも長期にわたって体質化しているため、動揺と混迷がつづいているところが多い。混迷の一方の極には、イタリア共産党などに顕著にあらわれているように、共産主義と社会民主主義との違いは過去のものになったとして、みずからをそこへ吸収させてしまうという流れがある。こうした傾向は、共産党であることを完全に否定する文字どおりの解党主義にはかならない。

 注目すべきことは、イタリア共産党のこうした路線への起点をなしたのが、1970年代の、軍事ブロック離脱の方針からNATO容認の方針への転換にあったことである。イタリア共産党が、その転換の根拠にしたのは、軍事ブロックから脱退するとヨーロッパでの「力の均衡」が崩れるという軍事力均衡論だった。この党が、チェコスロバキアやアフガニスタンにたいするソ遵の侵攻には批判角態度をとりながら、核兵器廃絶を棚上げにするブレジネフ時代の「平和綱領」を支持してきたのも、同じ均衡論によるものだった。帝国主義の軍事ブロックを容認することは、現在における帝国主義・独占資本主義の支配体制の基本的枠組みそのものを肯定することであり、これが科学的社会主義の党の存在意義を否定することにつながっていったことは必然的であった。

 いま、社会民主主義を、社会主義のより民主的な型をめざす思想とみて、今日における社会進歩の主要なにない手であるとする風潮が内外に広範にみられるが、これは歴史と事実にまったく目をふさいだ俗論である。もともと共産党と社会民主主義諸党が国際的に二つの流れにわかれた原点は、第1次世界大戦のぼっ発にあたって、弾圧に抗して帝国主義戦争反対の立場を守るか、その立場を放棄して戦争賛成の立場に転落するかの問題にあった。そしてそれは、けっして過去の問題にとどまるものではない。帝国主義擁護のその姿勢は、今日においても、世界の社会民主主義政党の多くがアメリカ帝国主義を中心とする軍事ブロックを肯定し、その核戦略に協力・加担する態度をとっていることにひきつがれている。

 もちろん、日本共産党は、すべての社会民主主義勢力を機械的に同一視する態度をとらず、可能な条件のもとで社会民主主義的潮流もふくめた統一戦線を結成するための努力をはらってきた。しかしこの点でも、世界の社会民主主義政党は、一部の例外をのぞいて、共産党との共同を拒否する反共分裂主義の立場をとり、社会進歩を求める人民のたたかいの前進を妨害する役割をはたしている。日本の社会党も、「社公合意」いらい10年余にわたって反共と軍事同盟容認をつづけている。世界の社会民主主義の大勢を支配している軍事ブロック肯定、反共分裂主義の方向に人類の未未をみいだすことは、根本的な錯覚にほかならない。

 他の一方の極には、中国共産党などに典型的にみられるように、東欧の事態を帝国主義の策謀であるともっぱら否定的にみるとともに、天安門事件などの人民への武力弾圧の正当化をはかろうとする立場がある。ルーマニアのチャウシェスク政権は、天安門事件を支持し、自国内でも民主主義と人権をふみにじってあくまで武力で政権を守ろうとしたが、そのことは彼らを悲惨な末路にみちびくことになった。

 日本共産党は、ルーマニア共産党と、1971年、78年、87年の3回にわたって共同文書を発表している。これは、1968年のチェコスロバキア侵略にさいして、ルーマニアがワルシャワ条約機構のなかでは唯一これに反対するなど、大国主義・覇権主義にくみしをい理性ある立場を当時の世界では例外的にとっていたことを重視したものだった。わが党は、1966年の第10回党大全で、外国の共産党と関係を結ぶ基準として、重要な意見の相違のある党との関係もふくめて、(1)日本共産党と日本の民主運動にたいする干渉・破壊行動をおこなわないこと、(2)連帯にあたっては国際的な大義のかかった課題で一致点にもとづいておこなうことを明確にしてきた。どんな場合にも、外国の党と関係をもつことが、その党の路線全体への支持や内政問題などの肯定を意味するものでないことは、いうまでもない。ルーマニアとの共同文書も、この具体化として結ばれたものである。そこにもられた覇権主義にたいする反対と各国の党の自主性の堅持、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とのたたかい、核兵器廃絶や軍事ブロック解体などは、それぞれの時期の国際情勢の客観的要請にこたえたものとして、今日でも重要な意義をもつものである。

 ルーマニアのチャウシェスク政権の変質が国際的にはっきりあらわれたのは、昨年6月の天安門事件にたいしてこれを支持する態度を表明したことだった。さらに、チャウシェスク政権は、8月のポーランドの政変にさいして、チェコスロバキアへの軍事介入に反対したかつての積極的伝統を投げ捨ててポーランドへの内政干渉的介入をよびかけ、その立場を国際的にもひろげるために、「社会主義防衛」のための「国際会議」の開催をくわだてた。日本共産堂は、こうした変賃の態度が明らかになることに機敏で断固とした批判をくわえ、この政権の最後の段階でおこなわれた人民への武力弾圧にたいして厳重な警告と抗議をおこなった。その党との過去の経過はどうであっても、世界の公理、世界の進歩に反する行為にたいしては毅然として対応するというのが、国際問題に対処するわが党の一貫した立場である。

 東欧の事態をめぐって、世界の共産主義運動のなかにさまざまな混迷や逆流が生まれているもとで、日本共産党が科学的社会主義の原則と自主独立の立場から明確にしてきた見地は、国際的にも大きな注目をあびている。そのことは、世界の共産主義運動の正しい発展にとっても、わが党の存在と活動がもつ意義をしめすものである。

第3章 日本の社会の現在と展望

1、前大会いらい日本共産党が日本の社会に発展にはたした役割

 この2年半の国内情勢の最大の特徴は、参議院選挙で自民党が少数派に転落し、反動勢力の政治支配の新しい矛盾がひろがったことである。

 日本共産党は、自民党政治と正面から対決する革新の党として、消費税の問題でも、国民の要求の先頭にたって一貫して奮闘した。わが党議員団のあつかった消費税反対の請願署名者は法案成立後1年間でも900万人以上で、各党のうち第1位だった。中曽根内閣が売上税を断念したとき、「直間比率見直し」の「議長あっせん」をもちだして、大型間接税のつぎの計画の足がかりを残したのは、自民党の作戦だったが、他の野党がすべてこれをうけいれ、つぎの段階での消費税導入を助ける役割をはたしたなかで、わが党はきっぱりこのたくらみを拒否した。

 また、自民党が「高齢化社会」にそなえるとの宣伝を大々的に展開したのにたいし、そのうそを事実をもってあばいた。アメリカの要求に応じての軍備拡大の財源づくりという消費税の本質を徹底的に追及したのも、日本共産党だった。

 わが党もその発展に力をつくした大型間接税・マル優廃止反対各界連絡会(各界連)は、中央・地方・学校区にいたるまで日本列島のすみずみに組織された。消費税導入の国会において、社公民の各党は自民党との「密室協議」をくりかえし、とりわけ公明・民社両党は、自民党の援軍の役をにない、消費税の成立に協力した。リクルート・明電工事件の汚染も、政府・自民党の中枢だけでなく、当時公明・民社両党の党首、社会党の元副委員長、現職議員などにおよび、金権腐敗の土壌が、日本共産党を徐く政界の全体にひろがっていることがあかるみにでた。

 こうした事態の根底には、いわゆる「80年代の政治構造」があった。日本共産党の排徐と日米軍事同盟の肯定を柱とした1979年~80年の「公民合意」「社公合意」以後、自民党政治の大枠をうけいれることが、これら諸党の国政にのぞむ基本方針となってきたのである。

 参議院選挙での国民の審判が近づくなかで、「三点セット」問題での他の野党の政策に、消費税廃止、企業献金禁止などをめぐって、一定の前むきの変化がおこった。これは、わが党のたたかいや国民世論のたかまりのそれなりの反映であった。党は、消費税廃止、企業献金禁止、コメの輸入自由化阻止という三つの緊急課題で一致する諸勢力が、その他の相違点をわきにおいて、国民的な共同の立場にたつこと、さらにその共同を基礎に、国会の多数をえて、「暫定連合政権」をつくることをよびかけた。このよびかけは、社公民の側の拒否によって実現をみなかったが、不当な「排除の論理」を捨てさえすれば、国民が望む共同闘争で自民党を追いつめ、要求実現の連合政権をつくることも可能なのだということを具体的にしめす重要な提案となった。

 89年の参議院選挙の結果、自民党が結党いらい最大の敗北をきっし、参議院での過半数を失ったことは、日本の政治史のうえで画期的な意義をもつ政治的事件であった。宇野内閣は退陣に追いこまれ、海部内閣が成立した。日本共産党は、自民党を敗北させた国民的な流れの形成に大きく貢献したが、党自身は議席と得票を後退させた。これは、有権者の自民党批判の声が野党第一党の社会党になだれ的に集中したことにくわえ、天安門事件の突風的な影響を克服できなかったところに、最大の政治的な要因があった。

 海部内閣は、参院選での自民党の敗北にもかかわらず、消費税を断念しようとはせず、アメリカの要求にしたがって軍備拡大の道を突きすすみ、「見直し」で国民をごまかして消費税の定着をはかるとともに、差し迫った総選挙を、財界の巨額の献金・融資による未曽有の金権選挙、「企業ぐるみ選挙」でのりきろうとした。

 社公民の諸党は、総選挙を目前にして、自民党にかわる「連合政権」を口にはしたが、国民の要求にいかにこたえるかではなく、安保・自衛隊問題で公明・民社両党が社会党に「もっと右寄りに屈服せよ」とせまるだけの協議に終始し、ついに自民党政治にかわる政権構想をなんらしめしえないまま終わった。はっきりしたのは、これら諸党がすべて、日本共産党排除の反共主義だけはかたくなに固執しつづけたことであり、また公明・民社両党が、自民党への接近には門戸をひらきながら、社会党との連合政権合意を結ぶ意思はまったくもっていないという事実であった。

 こうしたなかで、国民の熱望に真剣にこたえる日本共産党の政策的な先駆性、一貫性は、国会論戦でも、選挙での政策論戦でも、きわだったものだった。わが党は、消費税廃止を中心にした三つの緊急課題に正面からとりくみ、これを実現する暫定連合政府の提唱、長年にわたる自民党独裁政治と日米軍事同盟の総決算的な告発など、国政上のあらゆる問題で、自民党政治にたいする唯一の革新的対決者として奮闘した。2月の総選挙の結果、自民党は議席と得票率を後退させ、社会党がふたたび躍進した。これは、屈折した形ではあれ、自民党の悪政にたいする国民の審判を反映したものだったが、自民党は、未曽有の金権選挙と東欧の事態を最大の材料とした「体制選択」攻撃などによって、安定多数の維持には成功した。日本共産党が議席と得票を後退させたのは、8中総決定が深く総括しているように、なによりも、東欧問題での反共攻撃で攻めこまれたことによるものだった。しかし、国際的な逆風の吹き荒れるきびしい情勢と日本共産党の存立の基盤を打ち砕こうとする激烈な反共攻撃のもとで、ほぼ前回に近い522万の得票をえたことは、こんごのたたかいにとって、貴重な意義をもつものであった。

 日本共産党は、各分野の大衆運動の発展、革新勢力の共同と統一をめざす運動の発展にも力をつくした。特筆すべきは、89年1月の農民運動全国連合会の発足につづいて、同年11月に、およそ40年ぶりに労働運動の階級的ナショナルセンター・全国労働組合総連合(全労連)が、140万人の組織をもって結成されたことである。階級的立場を堅持し、労働組合ほんらいの性格をもつナショナルセンターが、日本の労働運動に登場したことは、わが国の労働運動の歴史的転換をめざす画期となるものである。

 また、1980年の社会党の反共路線転落以後、革新を求める団体や個人が組織化のイニシアチブをとった全国革新懇が、454万人328の地域革新懇を擁して発展をつづけていることも、日本の革新の未来を代表する勢力の結集として重要な意義をもつものである。この運動は、民主団体・個人の参加による大きな力をもっており、これまでも心がけられてきたことであるが、たんなる「懇談」にとどまらず、運動体としての実質をこんご共同目標の実現にむけていっそう効果的に発揮するような、参加団体と個人の新たな努力が期待される。

 この革新統一の運動にたいして、社会党は国政のうえでは「社公合意」による反共主義の立場から拒否しつづけている。このもとでも、部分的ではあれ、地方選挙で、社会党をふくむ革新統一が実現し、「体制選択」論を前面にかかげた自民党の反共・反革新の攻撃をうちやぶって、一連の勝利をかちとったことは、日本の政治革新の事業全体にとって意義をもつ貴重な前進である。実際、束欧で激動が進行した昨年秋いらいの時期だけをとっても、神戸、川崎、町田(東京)、中野(東京)の各市区で革新自治体を防衛し、東久留米市(東京)、沖縄市で革新自治体の再建に成功した。また、社会党が革新統一の戦線に参加しなかった千葉県、名古屋市その他の選挙でも、社会党や総評で活動していた少なくない人びとが革新の陣営に参加し、革新の大義のために精力的な活動をおこなった。

2、自民党政治の古い枠組みの打破を

 今日の情勢は、日米軍事同盟の堅持と大企業・財界奉仕という自民党政治の古い枠組みでは、日本が直面している諸問題を解決することができないことを、いっそう明瞭にしめしている。世界で軍事ブロックの解体と軍縮が新しい流れになっているときに、自民党政治が日米軍事同盟とそのもとでの大軍拡の継続を不動の枠組みとしていることは、世界情勢の変動からなにものも学ばない彼らの時代逆行ぶりを端的にあらわしている。世界第2位の経済力をもち、「金持ちニッポン」といわれながら、先進資本主義諸国では例をみない低福祉、老人医療差別、異常な土地高騰と住宅難、過酷な労働条件など、数かずの苦難が国民におしつけられている現実は、国民のするどい怒りの的となっている。国民の意思の無視、自由と民主主義のじゅうりん、金権腐敗政治の横行という面でも、自民党政治の反動性、後進性は、世界でもきわだったものとなっている。35年にわたる自民党の一党独裁の政治は、いまや政治生活、国民生活のどの分野をとっても、国民多数の利益とは両立しがたいものである。

 自民党は、「自分たちの政府は選挙での多数を基礎にしているから独裁ではない」などといっている。しかし、彼らはその選挙制度についてさえ、自民党の利益に反するとなると、国勢調査の結果にもとづいてすみやかに抜本的を定数是正をするという国会の決議(86年)を平然と無視して定数是正を回避し、少数の得票でも多数の議席をもたらす小選挙区制を国民におしつけようとしている。これこそ、消費税問題での公約違反などとともに、主権者・国民の意思に背をむけた自民党の独裁政治の本性をあからさまにしめしたものにほかならない。

 いまこそ、このような自民党政治の古い枠組みを打破し、国政の革新的転換をはからなければならない。自民党などがとなえている各種の「政界再編」論は、結局のところ、自民党政治の永久化の策謀にほかならない。

 日本共産党がいまめざしているのは、社会主義の日本ではなく、国民に背をむけた自民党政治を終わりにして、国民が真に主人公となり、資本主義の枠内でも国民が平和でより豊かで自由な生活をおくれる日本である。すなわち、それは、つぎのような日本である。

 ――日米軍事同盟をやめ、核兵器も、外国の戦争にまきこまれる心配もない日本。

 ――世界第二の経済力を、軍備拡大のためや大企業・財界優先でなく、国民のために生かす真に豊かな日本。

 ――民主主義が開花し、国民が名実ともに「国の主人公」となる日本。

 日本共産党は、1990年代にこのような日本をつくり、日本の政治の革新的転換をはかるために、全力をあげて奮闘する。この日本の実現は、わが国が世界の平和と進歩の大きな流れにほんとうの意味で貢献することでもある。

3、日米軍事同盟をやめ、核兵器も、外国の戦争にまきこまれる心配もない日本へ

 自民党政治が今日おちいっている矛盾をもっとも集中的にあらわしているのは、日米軍事同盟の問題である。自民党は、「ソ連脅威」論をあおりつづけながら、現行安保条約の30年間に、米軍が使用する基地面積を2倍に拡大し、核兵器のもちこみも他国攻撃への利用も勝手放題という世界に例のない特権を米軍基地にあたえ、これまた世界に例のない膨大な「思いやり予算」を米軍基地につぎこんできた。日本の軍事費は、この30年間で世界第16位から第3位となり、日米共同作戦態勢とアメリカの戦争への自動的な参戦態勢づくりが着ちゃくとすすめられてきた。

 ところが、日米軍事同盟をめぐる新しい情勢の特徴は、自民党がこれまで安保体制の存続と強化の最大の口実としてきた「ソ連脅威」論の虚構ぶりが、ますますあらわになってきたことである。これまで米ソ両国はたがいに「軍事力均衡」論をふりかざして、核兵器をはじめとする軍備拡大競争をつづけてきた。しかし、アメリカではその矛盾が「双子の赤字」(財政赤字・貿易赤字)としてふきだし、ソ連でも国力以上の軍事費の負担が国民生活にたえがたい犠牲を負わせるようになり、米ソ双方とも、この過大な軍事費の重荷を緩和するという必要からも一定の軍縮にむかわざるをえなくなった。わが党は、その動機がどうであれ、ソ連の一方的軍縮をふくめ、軍縮そのものは大胆に促進されるべきだという立場である。

 しかし、アメリカは、世界的な軍事同盟の体制や核兵器などの前方配備の方針を変えるつもりのないことを公言している。ただ、「新しい思考」によるソ連の協調主義を支援・助長して、みずからの立場を有利にしようとの思惑から、「米ソ接近」政策をとっている現状では、軍事同盟体制に固執する理由を、これまでどおり「ソ連の脅威」に求めるわけにはゆかず、その最大の理由を「その他の脅威」に求めているのが最近の特徴である。

 しかし、日米安保条約は、外部からの侵略の危険から日本を守ることを条約上の唯一の口実として結ばれた軍事同盟であり、これを「その他の脅威」にそなえるための軍事同盟にきりかえることは、ほんらい不可能な性質のものである。政府・自民党が、時代錯誤の「ソ連脅威」論にしがみつきつづける理由もここにある。こうした状況は、新しい情勢のもとで、日米軍事同盟が、政府・自民党の従来の主張にてらしてもその存続の根拠を失っており、「日本の防衛」などとは無縁のものであることを、おのずから告白するものとなっている。

 アメリカは、日米軍事同盟の強化をひきつづく基本政策とし、そのことを盾に二つの方向で日本に圧力をくわえ、それは戦後のどの時期よりも激烈なものとなっている。

 第一に、アメリカ政府は、日米軍事同盟を、その世界戦略のアジア・太平洋地域での主柱として位置づけ、日本にいっそうの軍備拡大をせまっている。彼らは、巨額の財政赤字への対応からみずからの軍事費を削減しようとして、在日米軍をふくむアジア・太平洋地域での米軍と米軍基地の一定の削減・縮小を日程にのぼせている。しかし、拠点基地を中心として日本本土と沖縄をおおう基地網の骨組みは、絶対に手ばなそうとはせず、核戦争と通常戦争の第一線基地としての機能を、質的にはひきつづき強化しようとしている。

 アメリカ政府は、さらに日本の軍事負担のいっそうの拡大をせまり、「国防歳出権限法」に露骨な内政干渉的条項をもりこんで、自衛隊の軍備拡大と在日米軍経費のいっそうの負担増を要求しつづけている。自民党政府は、忠実にこれにこたえて、すでに世界第3位にまでふくれあがった軍事費をさらに突出させ、5カ年で23兆円をこえるといわれる新軍拡計画を開始しようとしている。

 第2は、経済面でも安保条約を盾にした新しい内政干渉の体制がつくりあげられようとしていることである。いま、アメリカは、(1)日米構造協議をつうじての日本の経済構造そのものの内政干渉的つくりかえ、(2)米包括貿易法スーパー301条にもとづく個別通商協議、(3)ガット(関税貿易一般協定のウルグアイ・ラウンド(新多角的貿易交渉)をつうじてのコメ輸入自由化など、三つのルートで対日圧力を強めている。このアメリカの不当な要求にたいする自民党政府の対応は、その異常な対米追従ぶりで世界をおどろかせている。

 同時に、日本の財界・大企業が、日本国民への犠牲のおしつけを共通の基盤として、アメリカの多国籍企業・国際独占体との利害の調整をはかっていることを、見落としてはならない。日本独占資本と自民党はアメリカに屈服しつつ、アメリカの圧力をも利用してみずからの利益の拡大をはかろうとしており、このために日本国民の被害は倍加している。日米貿易収支の不均衡を真に解決するためには、アメリカ側では財政赤字削減と多国籍企業の規制、日本側では大企業の異常に強い国際競争力の源泉になっている低賃金、長時間・過密労働、下請けいじめの仕組みにメスをいれることが不可欠であるが、この根本問題にはいっさい手がつけられていない。いま進行しているのは、まさに米日独占資本の合作による日本国民にたいする未曽有の大収奪と抑圧の体制づくりにほかならない。

 第18回党大会決定は、日米軍事同盟が日本をアメリカの世界戦略に全面的に組みいれた「軍事・政治・経済」同盟として強化されていること、これに反対するたたかいはたんなる安全保障の領域の問題ではなく、軍事、政治、経済、国民生活の全面にわたる日本民族の命運にかかわる根本問題となっていることを強調したが、この指摘の重要性は今日いっそう切実なものとなっている。

 いま、日米軍事同盟の害悪があらゆる面でたえがたいものとなり、またその強化の口実とされてきた「ソ連脅威」論の虚構性がますますあらわになっているもとで、安保条約廃棄についての広範な国民の合意をかちとる新しい条件が生まれつつある。

 日米安保条約を廃棄し、この軍事同盟からぬけだして非同盟・中立の道にすすむことは、日本がアメリカの戦争の拠点にされてきた戦後の歴史に終止符をうって、真の主権と独立を回復した平和のとりでに変わり、アジアと世界の平和に大きく貢献する日本となることである。

 日米軍事同盟が解消すれば、アメリカが日本に軍拡をおしつける条約上の根拠はまったくなくなり、国民は軍拡の重荷から解放されることになる。アメリカの核戦格体制からきっぱりと離脱して、非核の日本が実現されることはいうまでもない。

 現在、世界の軍事費は年間1兆ドルにものぼっている。これを削減すれば、その一部をあてただけで、5000万~6000万人といわれる世界の飢餓人口を救うことができるし、南北格差の解消にも、十分な財政的裏づけをもって道をひらくことができる。独立した非同盟・中立の日本は、みずから軍縮を率先して実行することによって、世界の軍縮の流れの前進に大きな貢献をはたすことができるだろう。

 日米軍事同盟からぬけでれば、安保条約による「日米経済協力」の義務づけも消え去り、日本経済の自主的発展の大きな道がひらかれる。日米間にも、戦前の敵対関係とも、戦後、今日までの従属関係とも異なる、対等・平等の立場にたった国民的友好の関孫をうちたてる条件が、はじめてひらかれるし、世界のすべての国とほんとうの平和友好関係をつくるためにも画期的な転換となる。

 とくに非核・非同盟・中立の日本は、非同盟諸国会議に加盟し、軍事ブロックのない世界、核兵器のない世界の実現のために積極的な役割をはたすことができる。このことは、国連憲章がめざした軍事同盟のない集団安全保障体制の確立という、戦後世界の原点だった国際的な平和の目標の実現に近づくことでもある。日本が非核・非同盟・中立の道にふみだすことは、ほんとうに自主的な平和外交を展間する前提をきずくことである。現在、自民党政府は、発展途上国への援助と称して、ODA(政府開発援助)や無償援助の大盤ぶるまいをしているが、それらが全体として、アメリカの世界戦略への補完と日本の大企業の利益とを最大の内容としていることは、かくれもない事実である。この援助資金は自民党がだしているわけではなく、全部国民の税金を使ってのことであり、アメリカの戦略や大企業の利益を優先させた現在のようなやり方は、ただちに抜本的に転換させなければならない。そうしてこそ、日本の豊かな経済力を、発展途上国の自主的発展や貧困と飢餓の解決など、第三世界への私心のない援助にふりむけることができる。また、新国際経済秩序の建設、累積債務問題、南北問題の解決に貢献し、地球環境の保全にも資することができる。

 これこそが、国際社会に真に貢献する日本への道である。

4、世界第2位の経済力を真に国民のために生かす日本へ

 日本は世界第2位の経済力をもち、「金持ちニッポン」といわれているが、大企業が空前の利益をあげでいるのとは対照的に、国民生活のうえでは、他の資本主義国には例をみない異常な状態がつづいている。

 ――日本の労働者の労働時間は、政府統計によっても年間で西ドイツやフランスよりも4ヶ月分も長く、国際的にも大問題となっている。職場では労働者の権利も人間性も認めない過酷な抑圧が横行し、「ジャパニーズ・カローシ」という言葉が国際語となるほど長時間・過密労働による労働災害や在職死亡者も激増している。

 ――「民活」の名で野放しにされた大企業の土地買いしめが生みだした地価暴騰は、日本の地価が平均してアメリカの100倍以上にもなるという狂乱状態にたっし、住宅難をかつてない深刻なものとしている。勤労者が首都圏などで一戸建ての住宅をもつことはほとんど不可能なところにまできている。

 ――物価全般についても、東京の物価はニューヨーク(米)の1.4倍、ハンブルク(西独)の1.5倍という世界でも有名な物価高の国となっている。

 ――自民党政府は大軍拡と大企業奉仕の財源を確保するため、臨調「行革」路線をおしすすめ、福祉、医療、教育に大ナタをふるいつづけた。老人保健法による高齢者への医療差別の制度は、世界に類例のない恥すべきものであり、老人の自殺率は世界一である。年金制度、健康保険制度の改悪がくりかえされた。現在の日本の社会福祉の到達水準は、やっと35年前のヨーロッパの水準にたどりついたところであり、それさえいま破壊されてきている。こうした国民収奪の総仕上げが消費税の導入であった。

 ――その矛先は地方自治体にもむけられ、地方自治体にたいする補助金の削減は6年間で、6兆円をこす膨大な額にのぼり、「地方行革」のおしつけのなかで福祉、教育、住民サービスが無残にうちきられている。

 ――自民党農政による農業破壊がすすみ、この30年間に食糧自給率(カロリーべ-ス)は79%(60年)から49%にまで落ちこんだ。これは、2000万以上の人口をもつ国では、地球上他に例のない落ちこみである。しかも、日本の農業は、まともな再建策もたてられないままに放置されている。

 ――社会的な格差と不平等も急速にひろがっている。所得格差は60年代はじめの8・5倍から、87年には16・4倍にまで拡大した。個人の土地・持ち家資産も、最上位の20%の人の手に全体の4分の3が集中している。

 男女の差別もいぜんとしてはなはだし、企業社会では、女性の平均賃金は男性の52%(フランス80%、イギリス68%)、女性が管理職になる割合(男性に比べての)は、アメリカの70%、カナダの77%にたいして14%という、問題にならない低水準がつづいている。また、政権党である自民党などの世界では、女性の人格を認めない悪習がまん延していることが、宇野前首相・山下元官房長官と相つぐ事件で表面化した。

 ――働く青年は、ME化に順応できる若い労働力としてもっとも過酷な長時間・過密労働にさらされ、働きがいがもてないという悩みから離・転職が急増している。学生も、世界に類例をみない学費の高騰と、勉学条件の悪化によって、大学への期待をふみにじられている。世界113ヵ国で実施されている18歳選挙権の実現を、自民党政府が拒否しつづけていることも、青年への彼らの姿勢を端的にしめすものである。

 ――国民の生活環境への脅威も、年ごとに深刻化している。大企業の高利潤を最大の目的にし全国各地で計画された大がかりな「乱開発」による環境の破壊、一方ですすむ過疎化のなかでの国土の荒廃、安全性を無視した原発増設や核燃サイクルなど関係諸施設の建設強行、食品の安全を監視する責任体制の放棄など、国民の健康と生命の安全にとって、危険な事態が日ましに拡大している。日本の大企業の自然破壊は、熱帯雨林帯の乱伐の主役を演じるなど、地球全体の環境を脅かす点でも放置を許されないところにたっしている。

 これらの問題は、どれも、世界第2位の経済力がほんとうに国民のために活用されるならば、日本の経済的実力からいって、国民の要求にそって解決可能な問題である。ところが大企業は、国民の購買力向上という国内市場の拡大策を無視して、労働者や国民にたいして徹底した搾取と抑圧をおこないながら、さらに世界中に資本を進出させ、内外にわたる利潤追求の体制をいっそう強化している。そのうえ、あまった金を土地・株・為替などの投機にふりむけている。

 こうした日本独占資本のやり方は、日本経済の「空洞化」、国際的な経済摩擦の増大、円の急落、株・債券の暴落など、さまざまな矛盾を、底深くひきおこしている。日本独占資本は、これらの矛盾を打開する道を、よりいっそうの国内的搾取の強化と、発展途上国からの国際的搾取の拡大などによってのりきろうとしているが、これは、国際的にも国内的にも矛盾をより大きくするだけの道である。

 いまこそ、こうした大企業本位、軍拡優先の政治に、根本的なメスをいれることが求められている。

 日本共産党は、軍備拡大から軍縮への転換、大企業優先の政策から国民本位の政策への転換を柱に、世界第2位の経済力を国民の生活向上に生かし、国民にとって真に豊かな日本をつくるために奮闘する。そのため、当面まず、つぎのことを実行するとともに、大企業の横暴をおさえて国民生活を向上させる抜本的措置の実現をめざす。

 (1)軍事費の大幅削減

 年間4兆円の軍事費をただちに2兆円に削滅する。5年間で23兆円をこえる軍事予算のつぎこみを予定している次期「防衛計画」を中止する。このような軍縮への転換措置は、消費税の無条件廃止はいうまでもなく、福祉、医療、教育、文化の充実をはかる財政的基礎の一つとなる。

 (2)大企業の特権の廃止と民主的規制

 長持間・過密労働や下請け中小企業いじめなどの是正、土地投機の禁止など有効な地価対策、大企業中心の大型プロジェクトの根本的見直し、「乱開発」の規制と環境保護、原発政策の根本的な転換など、国民の利益を守る立場から独占資本にたいする民主的規制をすすめる。それによって、国民を苦しめる大企業の横暴をおさえるとともに、その活動を国民生活全体の改善、日本経済のつりあいのとれた発展にむけさせるようにする。また、海外の進出先での経済的横暴や環境破壊にたいしても民主的な規制をくわえる。
 大企業優遇の税制・財政の民主的改革をはじめ、大企業に持権的地位を認めず、その巨大を「社会的存在」にふさわしい社会的責任をはたさせる。

 (3)農業再建の抜本策の実行

 コメ輸入自由化を断固阻止し、日本農業を守る。食糧自給率(カロリーべ-ス)をこんご10ヵ年で、1970年当時の水準である60%台に回復させ、ひきつづき70%台をめざす計画的なとりくみをただちに開始する。イギリス、西ドイツは、20年前には日本より自給率が低かったが、輸入規制と価格保障を中心に15年間に、イギリス77%、西ドイツ93%という水準(85年)にまで再建した。農業を国の基幹産業として重視する立場にたてば、日本でも農業の再建は可能である。

 世界最悪の土地・住宅問題や国民的な関心事になっている環境問題、ほんとうの意味で高齢化社会にそなえる社会福祉の問題も、日本の経済力を軍備や大企業の利益優先でなく、国民のために活用する方向への転換を実現することによって、はじめて根本的な解決の展望がひらかれる。世界的規模での乱開発などの大企業の横暴を、国民の力で規制するようになった日本は、環境保全と両立する生産力の発展をはかり、国内だけでなく、地球の緑と大気、水を守ることにも、貢献する日本となるだろう。

 わが党は、軍拡と大企業奉仕をやめることによってひらける、国民にとって真に豊かな日本の前途を大きく展望しながら、国民の生活と経営、福祉、教育、環境を守るために、全力をつくして奮闘する。

5、民主主義が開花し、国民が名実ともに「国の主人公」となる日本へ

 民主主義の問題でも35年にわたる自民党一党支配の結果、日本の政治の腐敗・堕落は極端なものとなり、憲法に規定された主権在民の原則の空洞化がすすんでいる。

 前天皇の病気と死去を機に、政府・自民党が、マスコミをも総動員してくりひろげた天皇と天皇制礼賛の大キャンペーンは、主権在民の原則を事実上くつがえし、戦前の侵略戦争と暗黒政治の体制を美化する、きわめて危険な意図と内容をもっていた。日本共産党と『赤旗』は、歴史に逆行するこうした攻撃にたいし、侵格戦争と人権抑圧にたいする天皇制と前天皇の責任を明らかにし、弔意の強制や旧憲法下の諸儀式の復活など、民主主義の原則にそむくさまざまな策動をきっぱりと批判してたたかってきた。天皇問題での日本共産党の勇気ある立場は、侵略戦争と絶対主義的天皇制に命を賭してたたかった不屈の伝統を発揮したものであり、日本の民主主義と社会進歩の事業への重要な貢献をなすものであった。わが党は、主権在民の原則を擁護する立場にたって、ひきつづき天皇の元首化、神格化の各種の策動とたたかう。長崎市長襲撃事件など、言論の自由を封殺する右翼テロに反対するたたかいの重要性はいうまでもない。

 また、公安調査庁などによるスパイ・情報活動を、日本共産党が、国民の権利と自由を多年にわたって脅かしてきた日本の秘密警察の活動として正面から追及したことも、日本の民主主義の現在と将来にとって重要な意義をもつたたかいであった。これらのスパイ活動は、「破防法」を口実に、日本共産党だけでなく、広範な民主的な団体や個人にたいして広くおこなわれてきた。わが党の追及によって、それが「破防法」によってさえ合法化されえない、不法・不当な秘密警察活動であることが明らかにされた。

 リクルート事件は、金権腐敗が、自民党とその政府の中枢全体をおおい、さらにはわが党を除く野党をもまきこむ構造的な腐敗となっていることをしめした。この根を絶つためには、企業・団体献金の禁止にふみきることが急務である。これは、アメリカでは、主権者である国民一人ひとりの投票権を保障するという立場から、すでに実施されていることである。日本でも、選挙制度審議会が60年代の答申で、期限をきって実現すべき目標として確認してきた方向であった。これはやる気さえあればできることの、なによりの裏づけだった。

 ところが、竹下・海部内閣はあいついでこの当然の方向をくつがえし、「企業も社会的存在」というこじつけで金権政治の根源である企業献金を合理化し、これを拡大していく意図をあからさまにしている。さらに重大な問題は、政府・自民党が、国民の批判を逆手にとり、「政治改革」と称して、小選挙区制・政党法導入の策動を強引にすすめていることである。

 彼らが選挙制度審議会にうちださせた「小選挙区比例代表制(並立制)」なるものは、かつて田中内閣が突如としてもちだし、国民の反対の声のまえに断念したものと同じく、自民党が4割台の得票で8割近い議席をしめることができるようにしたものである。その目的は、なによりも自民党支配を永続化させ、内外の反動政策を実行する安定的基盤をつくることにある。「政権交代」を「円滑」にする制度だという自民党の宣伝は、この策謀への反共野党のとりこみと国民の批判そらしをねらったごまかしであるとともに、選挙制度を圧力として、自民党政治の基本路線の枠内での、日本共産党をしめだした「二大政党」制への政界再編成を強引におしすすめようとのねらいもこめられている。

 また、小選挙区制と一体のものとして提起されている政党法は、憲法で保障された結社の自由に反して、国家による政党への介入をすすめるもので、反対政党の禁圧の危険さえはらんだものである。そのことは、中曽根内閣時代に自民党がまとめた「政党法要綱」が、政党の要件の一つとして「革命の防止に寄与する」ことをあげ、現状維持を基本とする政党しか認めていないことでも明白である。

 日本共産党は、議会制民主主義を破壊する小選挙区制・政党法導入に断固反対する。

 これまで、日本国民は、1956年の鳩山内閣、1973年の田中内閣による小選挙区制導入の策動を、2回にわたって粉砕してきた。民主主義擁護をねがう広範な諸勢力が団結してたたかうならば、この危険なたくらみを阻止することは可能である。日本共産党はそうした国民的運動の急速な発展のために、戦前、戦後、民主主義を一貫して擁護してきた先駆的伝統にたち、全力をあげて奮闘する。

 選挙制度の問題で最大の基準となるのは、国会が国民の意思をどれだけ正確に議席に反映するかである。そのためには、まず国会の決議を忠実に実行し、現行制度のもとでの議員定数の抜本的是正をすすめることが必要である。日本共産党は、さらに将来的には、衆議院では都道府県を単位とした比例代表制導入を提唱するものである。

 女性の政治的自覚のたかまりは、旧本の政治動向の大きな持徴の一つとなっている。その背景に平等へのねがいとともに生活に根ざした民主主義的性格を特徴とする女性の要求のひろがりがある。わが党が、この要求を政治革新と結びついた力としていっそう発展させることに力をつくすことは、日本の民主主義・社会進歩の前進に欠くことのできない問題である。

 未来をになう子どもたちに憲法と教育基本法にもとづく教育を保障し、改定学習指導要領に反対するたたかいを、日本の民主主義にかかわる問題として重視してとりくむものである。

 国民の多様な文化要求にこたえる活動をすすめつつ、民主主義的な文化の創造と普及につとめることの重要性はいうまでもない。日本の国民がたたかいによってかちとった民主主義と自由の成果を、将来にわたって絶対に手ばなさず、それをたんにそのままひきつぐだけでなく、いちだんの充実・開花をかちとって、国民が名実ともに「国の主人公」だと誇りをもっていえる日本の実現をめざすことは、国民の運動の当然の、法則的な発展方向である。

 日本共産党は、「自由と民主主義の宣言」がしめしているように、民主主義の充実・発展・開花こそが、こんご、日本国民が多数の意思にもとづいて社会進歩の道をすすんでゆく大道であることを確信する。そして、その道をゆがめようとするどんなくわだても絶対に許さないことを宣言するものである。

6、革新3目標の今日的意義と統一戦線

 新しい日本をめざす政治革新のためには、自民党政治と正面から対決してたたかうとともに、80年代にできた自民党延命の「政治構造」をうちやぶらなければならない。

 わが党を除く野党は、80年代の入り口にあたって、日本共産党排除、安保・自衛隊の容認を共通の内容とする「公民合意」、「社公合意」をそれぞれ結んだ。それ以後、社公民各党にとっても、安保堅持は、自民党同様、日本の政治の不動の大前提となってきた。公明党にいたっては、世界観や安保・外交政策の一致が議会制民主主義の前提とのべ、事実上安保条約に賛成しないものは議会から排除するというおどろくべきファッショ的主張までおこなった。

 こういう状況のもとで、日米軍事同盟の廃棄の旗を一貫してかかげ、自民党の反動政治に正面から対決する日本共産党の存在意義がいまほど重要になってきているときはない。

 日本共産党が、革新統一勢力とともに、自民党政治を打破してゆく方向として堅持してきた革新3目標は、新しい日本をつくるうえで、ますます今日的意義をもってきている。

 (1)日米軍事同盟と手を切り、真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざす。

 (2)大資本中心、軍拡優先の政治を打破し、国民のいのちと暮らし、教育を守る政治を実行する。

 (3)軍国主義の全面復活・強化、日本型ファシズムの実現に反対し、議会の民主的運営と民主主義を確立する。

 日本社会の「深部の力」は、これらの目標をいやおうなしに、自民党政治と国民とのたたかいの焦点におしだしてくるだろう。日本共産党は、この目標に賛成するすべての勢力に、過去を問わず、誠実な共同のための門戸をひらいている。これこそ、90年代を、国民にとって希望ある革新的な転換の時代とする道である。

第4章 90年代の情勢をきりひらく党活動の諸課題

 わが党は、この30年来、党綱領にもとづく自主的・科学的な政治路線に確固としてたち、国民多数を政治革新の事業に結集するための党活動・党建設の、前進のために、一貫した努力をはらってきた。大衆闘争と党建設の「二本足の党活動」、「量とともに質を」の立場そつらぬいた党建設の独自の追求、国際的にも注目される前進をかちとった機関紙中心の党活動、人民的議会主義に立脚した選挙闘争と議会活動、党生活における民主集中制の組織原則の堅持、プロレタリア・ヒューマニズムに満ちた党風の重視、計画的・系統的な幹部政策、党費・機関紙など事業収入・個人からの寄付という財政3原則の厳守などが、わが党が定着・発展につとめてきた組織路線の主な内容である。

 これらが、発達した資本主義国であるわが国の実情に即した法則的な活動路線であったことは、この30年間に、日本共産党が全体として大さな組織的前進をかちとってきたことにも、明瞭にしめされている。これらの路線にもとづいて党建設・党活動をねばりづよく前進させてきた不屈の努力は、現在吹き荒れている反共の嵐のなかでも、わが党がその陣地を基本的にもちこたえ、維持してきている土台ともなっている。同時に、激動する内外情勢のもとで、日本共産党に課せられた諸任務を達成し、日本の社会発展の民主的な前途をきりひらくには、わが党がもっている欠陥と弱点を直視して、それを克服、打開する努力を重視する必要がある。

1、政治思想建設の重視――党活動のあり方の本格的な改善と前進を

 いま党活動と党建設のうえで、大切なことは、8中総決定が強調したように、政治思想建設をあらゆる党活動の第一義的な課題として位置づける方向で、党活動のあり方の抜本的な改善と前進をはかることである。この課題は、二つの角度から追求しなければならない。

 第1は、党機関と党支部、党員が、学習教育を重視し、科学的社会主義と日本共産党の綱領路線にもとづく党の理論的思想的水準を高めて、世界と日本のどんな逆風にも確固としてたちむかい、大志と確信をもってわれわれの事業の前進をはかりうる、強固な党の隊列をつくりあげることである。

 第2は、大衆運動、党建設、選挙闘争など党活動のあらゆる分野で、党指導の基本として、党員・党組織を自覚的に活動に結集する政治的理論的指導の優先をつらぬき、指導を諸課題の事務的・行政的追求だけに解消するような惰性的な方法に安住することを、きびしくいましめることである。
 党建設と党活動のこの基本問題で、わが党が重要な弱点をもっていることは、国際的逆風のなかでたたかわれたこの間の2度の国政選挙のとりくみで、全党がいやというほど痛感した。わが党は、社会主義論においても国際的に注目される先駆的な立場を明確にもっており、昨年来の東欧問題の表面化にさいしても、この立場からの科学的で積極的な解明を機敏におこなってきた。しかし、現実の総選挙戦では、東欧問題がおよぼしている否定的影響を軽視したり、この問題への正面からの解明を回避したりする傾向が広くみられた。これは、党の政治思想建設のたちおくれを端的にしめすものであった。

 日本共産党が科学的社会主義と党絹領にもとづいてねりあげ、この30年間の実践をつうじて発展させてきた路線は、国内的にも国際的にも、今日のいかなる情勢の激動にもたえられる生命力を実証している。それは、世界と日本の社会発展をすすめる科学的社会主義の理論と運動のかけがえのない存在意義をしめすものとなっている。「理論は大衆をつかむやいなや物質的な力となる」(マルクス)。全党がその真価をつかむならば、そのことが、わが党の新しい前進への強大で不屈の力となることはまちがいない。とくに、「社会主義・共産主義崩壊」論などわが党の存在の根本を否定する反共攻撃を攻勢的に打破してゆくためには、全党が科学的社会主義のそもそも論をふくめ、党の理論と路線の全体を深く身につける不断の努力を、党活動の基本にすえなければならない。

 学習では、大全決定と中央委員会決定を全党員が身につけることが、第一の課題であることはいうまでもない。同時に、今日の情勢のもと、科学的社会主義の真価を学説、運動、体制のそれぞれの面から深くつかむためには、科学的社会主義の古典の学習が不可欠であり、すべての党員は、この面でも、その条件に応じて計画的な学習につとめることが大切である。

 党機関の同志は、党の指導的活動家としての特別の任務からも、政治的理論的指導の課題を積極的にはたすためにも、学習を活動上の義務として位置づけることがとりわけ必要である。機関幹部が、国際問題や科学的社会主義の古典の独習に毎日1時間程度をみてること、機関として週1回の集団学習を定着させることは、そのための最小限のことである。

 20年前、第11回党大会の決定は、「正しい指導とは、命令ではなくして道理に立ち、実情にあったもので、すべての党員を納得させうるものでなくてはならない」ことを強調したが、ここには、党指導の原点がしめされている。わが党は、ほんらい、政治杓自覚にもえて、党と革命の事業に自発的に参加した党員からなる組織であり、命令で結ばれた軍隊や行政組織ではない。この組織の力は、同志たちが、情勢の特質や提起された課題の重要性、そして実情にあった活動のやり方などを道理をもってつかみ、みずからの政治的理論的な確信にしたときにこそ、もっとも力づよく発揮されるものである。

 そういう指導をすすめるためには、党の指導機関が、従来とかくありがちだった事務的・行政的指導に甘んじる態度を、きびしくしりぞける必要がある。党機関と幹部自身の学習によってその政治的理論的な水準を向上させて、政治と理論のカで全党をたちあがらせ、そのときどきの全党的な重要課題への積極的なとりくみを組織する指導に力を発揮できるようにする。また、支部とよく結びつき、経営、居住、農村、学園など支部のおかれた実情をよくつかみ、それに応じて支部の日常活動を援助し、党員からの疑問にもよく耳をかたむけて、問題を解決する力量を強めることも、大事なことである。

 原則的な指導の保障のためには、上級の機関がさまざまな課題を提起するさいのやり方にも、よく配慮することが必要である。各専門部から電話であれこれの課題がばらばらに提起され、それに下級の機関や支部がふりまわされるといったやり方は、政治ぬきの行政的指導の典型である。党中央は、そうしたまちがった専門部指導にならないよう、各部門をいましめ、課題を調整して統一的な指導をおこなうことにつとめている。こうした気風を広く全指導機関のものとするよう努力する。

 政治的理論的指導を重視するということが、当面する重要問題について必要な課題を提起しないとか、それを追求する独自指導をやらないなど、指導におけみ消極性をよしとするものでないことはいうまでもない。問題は、課題を適切に提起するとともに、その指導を、ほんとうに全党の政治的理論的な活力をひきだすような内容で、正しくすすめるかどうかという問題である。8中総後の一時期に、指導の消極化の傾向が一部にみられ、是正されたが、そのこともこんごの教訓とする必要がある。

2、国民各層と深く結びついた大衆活動、大衆運動の前進を

 自民党の悪政と国民各層との矛盾がかつてなく深刻になるもとで、大衆運動の分野では、全労連や農民連の結成、消費税反対闘争や反核平和運動の前進など、新しい発展、高揚の条件がひろがっているのが、この間の重要な特微だった。党は、各分野で、今日の条件にふさわしい大衆運動、革新統一戦線運動の前進にカをつくすとともに、職場・地域・学園の党支部が、大衆の日常利益を守る活動、民主的・自主的な大衆組織の建設・拡大の活動をみずからの任務とし、国民の利益の不屈の擁護者としての日本共産党の姿を、党の日常活動につらぬくことを重視しなければならない。

 消費税問題、日米構造協議による大店法改廃問題、コメ輸入自由化問題、大企業本位の都市再開発による地価の暴騰など、自民党政治のもとで、国民生活の困難と矛盾は深まっている。平和と民主主義の要求とともに、切実な国民生活にかかわる要求と批判は従来の自民党支持層のあいだにも大きくひろがっている。これらの問題を、中央の諸団体だけの問題とせず、党支部が地域や職場、学園の問題としてとりあげ、草の根からの運動を大衆的におしひろげてゆくことが、今日、きわめて重要である、政府・自民党などは、「見直し」で消費税に反対する中小業者の足なみを乱すとか、農産物輸入問題では「消費者の利益」なるものを宣伝して農民と消費者の分断をはかるなどの策謀をめぐらせている。これらの策動を事実と道理にもとづいてうちやぶりつつ、広範な国民世論の結集をはかってゆくことが、とりわけ重要になっている。

 消費税反対の闘争では、わが党は、共闘組織としての各界連のになう役割をひきつづき重視するものだが、さきの8中総で、とくに消費税が「日本の支配階級が軍拡政治の財源として熱望している重大政策」であることを正面からとらえ、「軍縮も要求するし、消費税のからくりを政治的にももっと勇敢に批判し、廃止のための党派間の共闘もおおいに要望する」、そういう性格をもった「消費税廃止をめざす大衆的政治組織」の結成を提唱した。この提唱は、各方面に反響をひろげ、6月29日、「消費税をなくす全国の会」が結成された。わが党は、これを心から歓迎する。

 全労連と「連合」の発足によって、日本の労働戦線は、このどちらの潮流が労働者の利益を守るうえで本物かが公然と比較され、試される新しい段階にはいった。「連合」の労資協調主義は、労働者の生活と権利を守るという労働組合ほんらいの任務を放棄していることを特質としている。全労連が、日本の労働者と国民の利益を守る労働組合運動のただ一つのナショナルセンターとして、要求にもとづいての共同の立場をとるすべての労働組合との共同行動をおおいにひろげながら、運動と組織の拡大強化をはかることが期待されている。それは、日本の労働組合運動の新しい歴史をひらく重大な課題となるだろう。

 党は、政党支持の自由、労働組合の政党からの独立という原則をきびしく守りつつ、全労連との連帯――中央・地方での協力・共同関係の前進に努力する。同時に、いかなる反動的労働組合のなかでも、労働者大衆の利益のために活動するという不動の原則を堅持し、その経営の組合がどの流れに属しようと、また組合未組織の状態にあろうと、すべての経営・職場で、党建設と党勢の拡大、大衆闘争の強化、労働組合の組織と民主的階級的強化などのために奮闘する。「連合」参加労組の職場、とくに民間大経営での活動は、日本の独占資本主義の牙城でのたたかいとして、特別な意義をもつ。独占資本や労働組合の右翼的潮流のさまざまなイデオロギー攻撃、とりわけ「社会主義・共産主義崩壊」論との闘争は、大経営での党建設と大衆活動の全局を左右する問題であり、党機関は政治的理論的な指導性を発揮して経営党組織を援助することにつとめる必要がある。

 労働者の4分の3をしめる広範な未組織労働者の組織化は、大企業に依存する「連合」によってははたしえない階級的課題であり、広大な空白となっている労働青年の革新的桔集にとっても重要な活動分野である。
 コメ問題を焦点として、大きな政治的地殻変動がすすむ農村での活動も重要である。消費者と生産者の分断をはかる政府・自民党などの意図的な宣伝がさかんにふりまかれているだけに、第17、18回党大会が強調した農業を日本の「基幹的な生産部門」とみなし、「都市と農村の連合、商工業と農業の提携」を重視するという農民運動の新たな観点はいっそう大切である。

 自民党による反国民的政策の推進は、自民党政治と都市住民とのあいだに大きな矛盾をひろげ、革新的世論と運動を発展させる新たな条件をひろげている。同時に注目すべきは、環境問題、食品安全問題、原発問題、教育・人権問題などの要求で、大都市を中心に各地で多様な住民運動・市民運動が草の根からひろがり、政治的自覚をいちじるしく高めている女性や青年がその重要なにない手となっていることである。党はこの分野の活動を抜本的に重視しなければならない。

 とくに、地球温暖化、オゾン層破壊、酸性雨、熱帯林伐採、核兵器実験や原発による放射能汚染など、地球的規模での環境問題が深刻化し、わが国でも、自動車排ガスによる大気汚染、ゴルフ場の農薬公害など環境破壊が新たな様相でひろがるもとで、環墳保護を求めるさまざまな運動がひろがっている。党は、環境問題を自分たちが身近に体験しているさまざまな角度から考えていこうという創意を大切にするとともに、この運動が日本政府と大企業など環境破壊の真の根源にせまって環境保護の目的を有効にはたしうる方向で発展してゆくことを重視する。

3、質量ともに強大な活力ある日本共産党の建設のために

(1)党の活性化と民主集中制

 すべての党員が科学的社会主義と党綱領路線への知的確信をもち、気概と情熱をもって党活動に参加できるようにすることは、いま党建設においてもっとも重視しなければならないことである。

 党の活性化のためには、党の政治的理論的活性化をはかる思想建設とともに、民主集中制の組織原則を党生活のすみずみに正しく確立するための努力を、とりわけ重視すべきである。

 党が統一した組織として、国民に責任を負う活動を積極的にはたしてゆくためには、民主的な討議のうえで、多数で決定したことは、全員が実行するという民主集中制の原則を、全党員がかたく守る必要がある。反共攻撃が強まるときには、展望を失った敗北主義、日和見主義の動揺とかさなりあって、党の戦闘的な統一を掘り崩す分散主義が生まれがちである。これらの誤った傾向を、事実と道理にもとづいて説得的に克服する活動が重要である。

 綱領と規約をもつ自発的組織として政党を結成し、国民の支持を争っている以上、政党が組織上なんらかの集中制をとるのは当然である。派閥の存在は政党としての意思の統一を困難にする要素であり、とくに科学的社会主義の党として、分派は党の統一と団結にとってきわめて有害である。民主的に討論し、個人の意見の留保は認めるが、そのうえできめたことは全党で実行するという最小限の集中制は、政党活動の基本であり、それなくして政党間闘争で前進することはできない。

 わが党はこの問題で歴史上痛切な教訓をもっている。1950年の米占領軍による党弾圧にさいしておこった党中央の不幸な分裂は、民主集中制そのものの破壊がその重要な一因であった。とくに党中央委員会の解体をみずからおこなったことは、民主集中制の最悪の否定であった。党はこの経験からも、「民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格を規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である」と規約に明記しているのである。

 民主集中制の原則を擁護しつつ、それを党活動に実際に適用するさいには、しゃくし定規的、機械的であってはならない。官僚主義的傾向は、党員や党組織の自発性、積極性を失わせることにもなる。各級機関が民主集中制の適用にあたって、党内民主主義にもとづく党員の善意や積極性が生かされるよう、十分な配慮をおこなうことは、党活性化のために重視すべきことである。分散主義的傾向は、集中と対立させて、民主の一面的主張におちいり、団結への配慮を欠く点で機械的である。

 日本共産党の弱体化に期待する反動反共勢力は、スターリンやブレジネフなどによってソ連・東欧でひきおこされた誤りを、民主集中制の結果であったかのように論じ、あたかも民主集中制が、「一党独裁」の根源であるかのような宣伝につとめている。民主集中制と「一党独裁」、「暴力革命」を「三位一体」視する誤った議論もある。わが党の到達点をみれば、この誤りは明白である。

 マルクス、エンゲルスが「民主主義をたたかいとる」ことを労働者階級の歴史的な任務として宣言し、社会と政治の発展のなかで、普通選挙権の行使による多数者革命を展望していたこと、

 レーニンは社会主義ほんらいの制度として一党制をめざしたのではなく、ソ連での一党体制は、生まれたばかりの社会主義ロシアにたいする資本主義諸国からのはげしい干渉戦争とそれに内から呼応して武力反乱をたくらんだ党派の策動の結果として生まれた体制であったこと、

 「暴力革命」は発達した資本主義国の革命理論とは、今日まったく無縁であること、

 レーニン死後のスターリン専制体制が、規約にもとづく中央委員会の定期開催すらまもらず、自分を党大会をはじめ党の正規の諸機関の上におき、党幹部にたいする弾圧を党の機関をまったく無視して強行するなどの民主集中制のもっとも野蛮かつ横暴な破壊と結びついていたこと、

 これらは、すでに歴史が明らかにしていることである。

 活力ある党活動の最大の基盤は、党の基礎組織である党支部にある。すべての党支部に生きいきした党生活をつくり、どんな風波にさらされてもそれをはねかえす活力と政治的思想的力をもった支部活動を発展させるために力をつくすことが大切である。

 ――支部会議を週1回定期的にひらき、全党的な課題だけではなく、まわりの大衆の状況や要求などについて、全員が参加しで討論する。

 国際的、全国的な問題についても、疑問とする点について、質問・意見を個人として提出する権利は、規約にさだめられている。疑問を氷解させることは、党員の活力と党の統一のために重要なことなので、これを避けてはならない。同時に、質問をうけた各級機関は、国際問題や全国的問題にかんして、党員からの質問をただ上級の機関に報告するだけでなく、それにすすんで答えることが、機関の指導上の任務である。このことは、民主集中制を生きたものとするために重要である。

 ――学習を重視し、『赤旗』をよく読んで、これを日常の党活動の指針にするように努力する。一人ひとりの党員の初心と善意、要求やねがいを大切にし、おたがいのさまざまな困難を親身になって助けあう血のかよった党風をつくる。転居・転職にともなう転籍はすみやかにおこない、党員が新しい環境のもとでも党生活ができるように援助する。

 ――読者を日常的に大切にし、いままで軽視されていた読者ニュースの月2、3回の発行をはじめ、地域・職場新聞の発行、日常の対話活動、読者会をはじめ小集会活動など、読者との結びつきを強める活動にとりくむ。

 とくに大衆の切実な要求にこたえる日常活動を活発にすすめ、大衆との人間的な政治的を信頼関係を強化することは、日木共産党への理解をひろげるうえでも、さまざまな反共攻撃をうちやぶるためにも、また支部の活性化のためにも、きわめて重要な支部の基本的上任務である。

(2)党勢拡大の二つの根幹――機関紙読者拡大と党員拡大

 『赤旗』は、世界と日本の羅針盤である科学的社会主義の立場にたった日本で唯一の新聞であり、国民の根本的利益を守り社会進歩を促進する、平和と革新の共同の新聞として、かけがえのない役割をになっている。『赤旗』読者を拡大する活動の重大な意義は、ただ過去に到達した峰からの後退分をとりもどすというだけのものではない。今日、反共宣伝は、反共・反革新の諸党派だけの政治的策動ではない。世界一発達した日本のマスコミが、連日、しかも長期にわたって「社会主義・共産主義崩壊」論の洪水のような報道をつづけている。そのとき、科学的社会主義の真価をたえず明らかにし、世界と日本の現状と前途を進歩と科学の目でいつも解明している『赤旗』を広く国民のあいだに拡大することは、それ自体、「社会主義・共産主義崩壊」論を根本からうちやぶり、日本の革新運動の背骨をきずく仕事である。この意味で、『赤旗』拡大の面での後退は、革新と反革新との対決における重大な後退として、日本の平和と革新の事業のためにも、絶対に放置することの許されない問題であり、『赤旗』読者拡大の課題を、日本の革新運動、党と革命の事業の重大任務として、とりくまなければならない。

 「第19回党大会をめざす機関紙拡大・読者との結びつき強化特別月間」のとりくみで、反共攻撃の嵐にたち向かって積極的前進をかちとり、大衆との結びつきを拡大したことは、大きな意義をもつものである。党大会をめざして全国的に開始された上げ潮をさらに発展させ、「月間」の自主目標を全国的にかならずやりとげるために、第19回党大会を新たな起点とし、10月末まで、「第19回党大会記念・『赤旗』拡大・読者との結合特別月間」としてこれを継続する。すでに「特別月間」の自主目標をやりとげた党組織は、国政選挙の得票目標に見合う有権者比(労働者比)の陣地への接近をめざし、積極的な自主目標をきめて、全党の躍進の先頭にたつ。

 また、来年のいっせい地方選挙での前進のためにも、選挙勝利に必要上機関紙読者を有権者比できずくことが、総選挙の痛切な教訓からつよく求められている。読者拡大の活動を前進させるうえでも、いわゆる組織的追求だけにとどまらず、党支部と党員がこうした機関紙拡大のもつ重要な意義、『赤旗』の役割と魅力をつかみ、自覚的、自発的にこの任務にとりくむよう、政治的理論的指導の強化をはかることが大切である。もちろん、機関紙拡大の推進にあたっては、その独自の追求が絶対に欠かせないこと、まず学習、まず大衆運動などということでこの課題を後回しにするあれこれの「段階論」におちいってはならないことは、長年の活動で試された鉄則である。

 同時に、一人ひとりの読者をわが党のもっとも親しい友人として大切にし、読者と多面的に結びつく活動を強化すること、こうした活動をつうじて、一人ひとりの読者をわが党のいっそうかたい支持者、理解者として高めてゆくことは、とりわけ大切になっている、そのために、読者ニュースの発行、読者会の組織などに系統的にとりくむ必要がある。これまで地域・職場新聞を発行している支部でも、それが読者とのきずなともなるように、とくに意識的な努力をかたむけることが大切である。

 また、現在、日刊紙専任配達員をはじめ党員、協力者の日夜をわかたぬ献身的活動によってささえられている配達、集金活動に、いっそう多くの党員が自覚的に誇りをもって参加し、安定した体制を確立することが重要である。

 前大会いらい、新しい党員を迎えた支部はわずか4分の1にとどまっており、すべての支部・グループが新しい党員、とりわけ青年学生分野での「広大な空白」を克服するために若い同志を迎える活動をおおいに強めることは、党建設上の急務である。党員拡大は、これをいついかなるときにも握ってはなさず、計画的なとりくみを目的意識的に追求し、持続的に拡大してゆくことにこそ、大道がある。そのさい、党に迎えいれるまえに、さまざまな学習会、学習サークル、民青同盟での学習などをつうじて、党綱領と規約、科学的社会主義の基本点を理解してもらう努力をし、規約にさだめられた党員の資格を満たしたものを入党させることが大切である。また、12条該当党員の正しい解決を重視し、結集可能な最大限の同志に働きかけるとともに、実態のないものを適切に整理することも、前衛党にふさわしい隊列をつくってゆくうえで重要である。結集した同志については、あたたかく援助する。

(3)科学的社会主義の理論的な強化と発展をめざして

 第18回党大会では、わが党への知的信頼を自覚的インテリゲンチアや青年・学生のあいだにきずきあげるうえでの重要な課題として、科学的社会主義理論の学問的強化の課題を提起した。この間、「新しい思考」の協調主義的展開がより明確になり、また中国、東欧、ソ連の事態など、科学的社会主義の立場からの本格的な解明を必要とする一連の問題がおこったが、党中央はこれにこたえて、多くの理論活動をおこなってきた。その活動が科学的社会主義理論の学問的強化の重要な成果として、国際的にも一定の貢献をする意義をもちえたことは疑いない。その活動の主要な内容は、つぎのような点にあった。

 ――史的唯物論の原則を否定する「新しい思考」の協調主義理論や社会民主主義美化論、共産党の社会民主主義への解消を説く解党主義理論など、国際的な誤った潮流に反対して、科学的社会主義の学説とその現代的な発展を擁護する活動。

 ――中国、東欧、ソ連などの事態を材料にした「社会主義・共産主義崩壊」論の反共攻撃にたいして、科学的社会主義の真価を学説・運動・体制の三つの観点から明らかにし、世界的な反共攻勢を理論的にも攻勢的にうちくだく活動。

 ――科学的社会主義の生命力のすでに証明された内容として、わが国の戦前・戦後、日本共産党が日本の民主化の達成という戦略路線を設定し、即時社会主義革命論におちいらず、人民の当面の苦難の打開に全力を傾けてきた先駆的な闘争の意義を、歴史的、理論的に位置づける活動。

 ――マルクス、エンゲルス、レーニンは、科学的社会主義の立脚点にたってさまざまな活動をしたが、彼ら自身がくりかえして言っていたように、科学的社会主義の学説は自己完結した閉鎖的なものではない。この立場からの、マルクス、エンゲルス、レーニンの命題のなかで、現代にうけつぎ発展させるものと、その時代的制約によってそのままを現代に適用できないものの研究をすすめる活動。

 ――アメリカや日本をはじめ世界の資本主義の実態を、事実にもとづき、また資本主義の法則的を帰結として告発し、「資本主義万歳」論の誤りを理論面からも明らかにする活動。

 ――科学的社会主義の、世界史における積極的・現代的な役割を否定する「ネオ・マルクス主義」の源流についての研究、批判の前進や、資本主義の新しい変化とも結びついてあらわれる誤った理論を批判し克服する活動。

 新しい情勢は、科学的社会主義の理論を擁護しその正しい発展をかちとるうえで、いっそうの努力を求めている。党は、ひきつづきこの分野でのとりくみを強化しなければをらない。そのさい、第18回党大会の決定やその後の実践で明らかになったように、学問上、文化上あるいは芸術上の問題について、党の決定として細部にわたって全党を拘束するような態度をとることは、学問、文化の研究・創造の正しい前進を妨げるものとして、しりぞけられなければならない。

 同時に、事実に明白に反する公開の党攻撃などにたいしては、だれにたいしても反論を保留することはしない。

4、党の総力をあげて青年学生の「広大な空白」の克服を

 青年学生分野における「広大な空白」を克服するとりくみの強化は、党と革命運動の現在と未来にとっての全党的急務である。この間、党は、12年ぶりに大規模な青年学生問題全国活動者会議を開催するなど、青年学生対策の強化をはかってきたが、その成果を生かして、この分野の活動を文字どおり全党の英知とカを桔集したとりくみに発展させなければならない。もちろん、民青同盟や学生党組織自身の活動は重要だが、この事業は、青年や学生の組織だけにまかせるのではなく、全党の総力をあげてのとりくみによって確実な成功をかちとるという姿勢を確立することがなによりも大切である。

 この分野でのこの間の活動の教訓は、「柔軟で新鮮」な接近――「紋切り型」や「おしつけ」をやめ、広範な青年の気分や要求と共通のところから出発して、ともに考え、生きがいを語りあい前進していこうという態度をつらぬくこと――が、現代青年を結集するうえできわめて重要だということである。また、民青同盟や青年学生後援会の経験でも、活動を上から画一的な枠にはめるのではなく、青年自身の気分や感情にあったやり方、いわば自分たちの「やりたいこと」から出発し、多彩な活動にのびのびととりくむこと、活動そのものが魅力もあれば役にもたつということが、多くの青年を革新の事業に結集する力となったことが、多く報告されている。

 現代青年の動向は非常に複雑だが、自民党の悪政のもとにある日本資本主義の現状が青年の多数を満足させていないし、させる力をもちえないことは明白な事実である。独占資本の長時間・過密労働の最前線にたたされているのは労働青年である。農村青年も農業のあすへの展望をもてなくなっている。学生は高学費と勉学条件の悪化に直面し、就職後もさまざまな困難が待ちうけている。ここに彼らが社会進歩の道にむかう客観的な必然性がある。全党が、青年への「柔軟で新鮮」な接近の見地を深くつかみ、系統的な努力を強めるならば、かならずこの分野での大きな前進をつくることができる。そのさいとくに、学生、労働青年、農村青年、高校生、若い女性など、青年各層の固有の要求と関心に即した接近の方法を探求していくことが重要である。

 同時に、現在の激動的な情勢のもとで、民青同盟の「活動の半分以上を学習にあてる」とりくみへの援助を強めること、学生分野で社研活動をはじめ知的活動の抜本的な強化をつうじて、科学的社会主義への世界観的確信をもった知的中核部分を大量に組織・養成する活動を推進することなど、政治思想建設への援助が若い世代にたいしてはとりわけ大切である。これらと結びつけて、計画的・系統的に青年学生党員の拡大と民青同盟の拡大・強化にとりくむことが重要である。

5、選挙戦での日本共産党の新たな躍進のために

 自民党の反動政治とそれをささえる与野党協調体制を打破し、革新3目標の方向で日本の政治の革新的刷新をはかるためには、国政選挙と地方選挙での日本共産党と革新統一勢力の躍進が決定的である。

 全党は、当面する全国的な政治戦である来年のいっせい地方選挙での躍進をめざして全力をあげる。とくに道府県議選では、島根、佐賀の空白県の克服をはじめ議席の確実な拡大をはかる。市区町村議選では、現有議席をかならず確保し、そのうえにたって積極的な議席拡大をめざすとともに、14市628町村にのぼる空白議会の克服を重視する。また、その間の沖縄のいっせい地方選、茨城県議選など中間地方議員選挙、首長選挙での確実な前進をはかる。とくに現職の革新県政を防衛する福岡県知事選(来年4月)や革新統一の体制がすでに確立されている沖縄県知事選(ことし11月)をはじめ、革新自治体の防衛と奪還のたたかいはとくに重視して、党としてもとりくみを強める必要がある。

 2年後の参議院選挙と、時期は不定だが次期総選挙など、国政選挙での失地回復と新たな前進は、どうしてもやりとげなければならない国政革新の中心任務だが、そのためには、いまから予定候補者を先頭に計画的な活動をすすめることが重要である。

 現在の情勢のもとで日本共産党の前進を実現してゆくためには、党の政治思想建設の強化を土台に、政治と理論を前面におしだして選挙をたたかうという方針を、全党に真剣に徹底させることが必要である。選挙戦の指導にあたっては、政策論戦がどう展開されているか、他党派が東欧問題などをつかってどんな反共攻撃をやっているか、それにたいするわが陣営の反撃はどうかなど選挙戦の政治的様相を全面的につかみ、日本共産党の政策的・理論的優位を広範な有権者のなかに明瞭にするための攻勢的な政治・宣伝計画をたて、これを確実に実践しなければならない。とくに、東欧やソ連などの激動が長期にわたることが予想されるもとで、「社会主義・共産主義崩壊」論や体制選択論などを攻勢的に打破してゆく活動を、あらゆる選挙での政治戦の戦略的を重点として位置づけ、系統的、全面的にとりくむ。党と後援会を選挙戦にたちあがらせる指導の点でも、天安門事件につづく東欧問題の攻勢的解明をはじめ、党の政策と理念の積極的内容などで政治的確信をひろげ政治的な決起をかちとってゆく政治指導をなによりも重視しなければならない。

 この点で2回の国政選挙では、候補者や選対指導部にも、この課題の大きな過小評価があった。中央の選挙対策局にも、このための指導体制を欠いていたので、選挙後、機構を再編整理した。わざわざ第18回党大会6中総で、党名選挙対策委員会が党中央に設置され、県、地区、支部にそれぞれ担当者をおくことにしたのは、選挙での政治戦――党派間論争を重視したためだが、これが生かされなかった。

 これまでわが党が選挙活動の基本方針として一貫して重視してきた選挙戦の「四つの原点」((1)大衆の切実な要求にもとづく日常不断の活動、(2)全有椿者にたいする大量宣伝、(3)機閣紙拡大をはじめ基礎的支持勢力の拡大、(4)大衆組織と日本共産党後援会の拡大・強化)にもとづく日常不断の活動は、現在の情勢のもとで日本共産党のゆるぎない前進をかちとるうえでいっそう大切になっている。これらの日常不断の活動をつうじて、わが党がその選挙区で、党支持層をどれだけ厚く、どれだけ広くもつようになっているかを、選挙戦の大局を左右する決定的要因として重視すべきである。

 さきの総選挙でも、一連の選挙区での経験は、小集会や対話活動、つじつじでのミニ演説、広範な有権者が参加しやすく工夫した創意的な集会など、広い有権者どの多面的な結びつきの拡大に一貫した努力をつくしたことが、はげしい反共攻撃にうちかって勝利をかちとる一つの重要な要因になったという教訓をしめしている。

 とくに衆議院選挙の教訓として、議員・予定候補者を先頭に、日常活動として、すすんで科学的社会主義のそもそも論を普及し、社会主義・共産主義への疑問に答え、いまから営々と不屈の気力をもって地盤づくりにはげまなくてはならない。世論調査でも「日本共産党絶対不支持」が4割にのぼっているわが国の政治風土の現実をふまえるならば、内外の政治情勢がどのような展開をしようが、そういうことでは崩されないような強い党組織や後援会を日常不断に建設し、有権者大衆との広くかつ深い結びつきをつくりあげるため、真剣で本格的なとりくみを推進しなければならない。

 前大会いらいの2年半は、社会進歩をめざす人民のたたかいこそが歴史をつくる原動力であるという史的唯物論の根本原則の正しさを、世界と日本の激動的事実によって証明した。1990年代は、こうした人民のたたかいがいっそう大きな流れとなって、日本においても、世界においても、平和と社会進歩への前進をきりひらく時代となるだろうし、またそうしなければならない。科学的社会主義の原則と戦前・戦後68年の不屈の伝統に立脚し、歴史の法則的発展を促進する日本共産党の真価を発揮するために、ともに奮闘しよう。

© 日本を本国とするこの著作物は、政治上の演説等であるため、著作権法第40条の規定により自由な利用が認められています。

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