【資料】小山弘健『戦後日本共産党史 党内闘争の歴史』の序文(1958年)

一 これまで「党内闘争は党外の階級闘争の反映である」という命題【引用者注:スターリンの階級闘争激化論、およびそれをもとに毛沢東が再理論化した継続革命論。当時日本でも読まれた『ソ同盟共産党史』(歴史小教程)や『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』にも示された】が単純にふりまわされ、そのためいっさいの党内闘争が敵対的性格をもつかのように理解され、しごくかんたんに味方が敵となり敵が味方とされる傾向があった。だが現実では、どのような政党といえども、「それ自身として」矛盾をもっているものである。労働者階級を代表する政党であっても、たとえば党と党外大衆とはそれ自体無条件的に一致融合しているものではなく、その間にはたとい敵対的性質のものでないにせよ一定の矛盾が存在している。また党そのものの内部にも、指導幹部と一般党員とのあいだ・党中央と下部の各級機関とのあいだに、それ自体として一定の矛盾があることを否定できない。これらの矛盾は大なり小なり党内闘争として発現するものであり、党内闘争といわれるものには、党外階級闘争を反映する敵対的性格のものより、むしろ党と大衆・党上層と党下部とのそれ自身としての矛盾を反映する非敵対的性格のものが多いのである。問題は、これらの諸矛盾の存否を論ずることでなくて、それらを党が十分明確に区別しているかどうか・また党がそれらをうまく解決していっているかどうかということである。本書は、戦後の日本共産党について、このような党内闘争の観点から歴史的に追及してみたわけである。
一 われわれはいまから一〇年前に、「現在の運動そのものがすでに過去において一度批判克服せられたる同じ誤謬と失策とをなおかぎりなく再生産しつつあるという切実な事態」にかんがみ、『近代日本労働者運動史』(一九四七年一一月 白林社)なる一書を編さんし公刊した。その書において、戦前の運動がおかしたかずかずのあやまりと失敗・敗北と混乱のじじつを卒直に記述して、その結論において「日本労働者運動は今日、敗戦による帝国主義の倒壊と民主革命の遂行とによって、……みぞうの再生・復活・隆盛ぶりを呈しつつある。しかしそれが過去の全歴史にたいする深刻なる自己批判をおこしたり、その重大なる敗北の事実の確認を回避し、あるいはかかる敗北の原因についての苛烈にしてむじひな追究を看過するならば、それはけっして今後ただしい軌道をあゆみえないであろう。その過去の血と涙の全歴史がのこした諸教訓を摂取しそれを次代に活用することをわすれて、単に漫然と現実の事態に処していくならば、ふたたび以前のごとき惨憺たる敗北と失敗の歴史をくりかえさないと、はたしてだれが保証するであろうか」――と書いた。
 ところが同書は、当時の運動の上向的発展に酔っていた革命的分子から、過去の運動の栄光と名誉をそこないぶじょくしたものとして、手ひどく非難され攻げきされるにいたった。われわれがこの不当な批判に応答しようとてもあたまからうけつけられないほどその圧力はきびしかった。だが、一〇年後の今日、それら革命的分子は、日本の革命的勢力が戦後の再出発点の時点にひとしいところにまでふりもどされている苦い現実に当面しているのである。われわれがけっしてそれを希望しなかった予想が、あまりにも的確に適中することとなったのだ。われわれは、こんどの本書が前書とおなじ運命をたどり・一〇年ののちふたたび予想の適中【ママ】をなげかせるようなことに、けっしてならないようにと心からねがうものである。
一 【文献目録略】
一 本書の本文は、小山弘健が執筆にあたり、年表は、宍戸恭一が作成した。昨年来、京都現代史研究会をつうじて、直接間接の教示やしげきをうけた井上清・岸本英太郎・渡部徹の諸氏にあつく謝意を表したい。資料については高屋定国氏の協力をえた。
  一九五八年六月三〇日


社会経済労働研究所
小山弘健

社会経済労働研究所『戦後日本共産党史 党内闘争の歴史』三月書房 1958年
著者について

小山弘健は歴史学者・社会運動史研究者。日本共産党員であったが50年問題の渦中に臨中派指導部により除名され、その後復党せずに運動史などの研究に専念した。

宍戸恭一は版元の三月書房店主。井上清は歴史学者、日本共産党員であったが67年除名。岸本英太郎はマルクス経済学者。渡辺徹は歴史学者・社会運動史研究者。高屋定国は政治学者、日本共産党員であったが58年12月除名。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

five − three =