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吉川守圀(よしかわもりくに 1883~1939)
吉川守圀

東京桧原村出身。済生学舎(現在の日本医科大学)中退。1904年に平民社に参加。06年日本社会党結成に参加し、電車事件で検挙。その後日刊平民新聞の編集に携わる。日本社会党の禁止後は社会主義同志会を結成、その後堺の売文社に入る。20年の日本社会主義同盟結成、22年の日本共産党結成に参加、規律委員。23年第2回大会で執行委員。

第一次共産党事件で検挙、出獄後は再建された党には戻らず『労農』創刊に参加し労農派を形成。東京府会議員(1期)。37年人民戦線事件で検挙され、出獄直後に死去。

画像出典 津川勇『親鸞精神に生きた高津正道評伝』中外日報社 1986年