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堺利彦(さかいとしひこ 1871~1933)

日本社会主義運動草創期からの指導者。現在の福岡県生まれ。幼少より自由民権思想を持ち政治家を志す。1887年第一高等中学校(現在の東京大学)に入学するも89年除籍。文筆業の傍ら『防長回天史』の編纂に従事、99年万朝報に入社し幸徳秋水、内村鑑三、河上清らと親交を持つ。01年社会民主党の結成に参加を志すも結社禁止のため果たせず。日露戦争時に非戦論を掲げ、万朝報を退社し週刊「平民新聞」を創刊。06年社会民主党結成。いわゆる赤旗事件で大逆事件の難を逃れ、「社会主義冬の時代」の間の困難な時期の運動を支えた。大正期に社会主義運動の復活と本格的なマルクス主義の研究に取り掛かり、20年の日本社会主義同盟結成、22年の日本共産党結成にあたっては古老として活躍する(ML会グループ)。党国際幹事。第一次共産党事件で検挙され、再建された党には参加せず『労農』を発刊し労農派を形成した。無産大衆党結成に参加、東京市議(1期)。社民勢力内の左派として全国大衆党、全国労農大衆党の結成に参加。満州事変の際には無産政党内で戦争反対の闘争を行うも、33年脳溢血で死去。画像出典See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons