コンテンツブロック「近藤栄蔵(1883-1965)」のプレビュー
近藤栄蔵(こんどうえいぞう 1883~1965)
近藤栄蔵

現在の文京区出身。片山潜の著作に触発されて1902年渡米し農業を学び帰国後東京で農業・商業を営む。16年再び渡米して行商を営み、17年にニューヨークで亡命中の片山潜と出会い、在米日本人社会主義運動に加わる。18年米騒動に触発されて日本に共産主義運動を起こすべく帰国、これが「西回りルート」の日本共産党結党の最初の契機となった。大杉栄の第2次『労働運動』にボルシェビズムの立場から参加、その傍らコミンテルンとの連絡を確立、堺・山川とともに日本共産党暫定執行委員会(準備会)を結成。暁民共産主義者団の反戦ビラ事件で検挙。日本共産党の正式結成に参加し中央委員。第一次共産党事件で検挙を逃れソ連に亡命し、プロフィンテルン常任委員、24年コミンテルン5回大会日本代表。26年の帰国後は共産党とは距離を取り、無産政党中間派→国家社会主義政党に関わるも、偽装転向と疑われ42年治安維持法違反で検挙。

戦後は政治運動から手を引き、高瀬清と戦災者援護運動に携わったほか、障碍者福祉・老人福祉事業を営んだ。

画像出典 同志社大学人文科学研究所編『近藤栄蔵自伝』ひえい書房 1970年