コンテンツブロック「荒畑寒村(1887-1981)」のプレビュー
寒村は号。本名勝三(かつぞう)。横浜市出身。小学校卒業後海軍工廠の見習職工などを勤める。1903年、幸徳・堺の「退社の辞」に感銘を受け社会主義者になる。平民社に参加。赤旗事件で検挙されたため大逆事件の難を逃れ、堺の売文社や大杉栄の「近代思想」に参加。このころアナルコ・サンディカリズムに批判的になり、徐々にマルクス主義に接近。ボル派の指導者として『前衛』に参加し、22年の日本共産党結成に参加(LL会グループ)。コミンテルンに党の成立を報告するために訪ソするも、その間に第一次共産党事件と関東大震災が発生。荒畑は解党に反対し、党再建につとめた。帰国後入獄、出獄後は福本イズムに反対し離党。山川均らと『労農」を創刊し労農派を形成した。37年人民戦線事件で検挙。
戦後は日本社会党の結成に参加し、山川とともに民主人民戦線結成につとめた。48年衆議院議員に当選するも、社会党を脱党。51年に山川・向坂逸郎らと社会主義協会を設立するも直後に脱退し、政治運動から引退した。
画像出典 荒畑寒村, Public domain, via Wikimedia Commons