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川内唯彦(かわうちただひこ 1899~1988)
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福岡県出身。中江兆民の「一年有半」の影響を受ける。東京外国語学校(現在の東京外国語大学)ロシア語科に進学(同級生に蔵原惟人ら)、在学中に堺利彦主筆『新社会』を読み社会主義者になる。20年の日本社会主義同盟結成大会に出かけて官憲の横暴を目撃し、堺のML会に参加し運動に入った。22年の日本共産党結成にML会員として参加。訪ソしてコミンテルンに結党を報告。

第一次共産党事件では検挙されず、24年の解党を迎えた。その後はレーニンをはじめロシアのマルクス主義文献の邦訳に従事。プロレタリア科学研究所、唯物弁証法研究会、日本戦闘的無神論者同盟(戦無)などに参加。31年再入党。34年戦無への弾圧で検挙。

戦後もマルクス主義文献の普及につとめた(戦後の党籍不詳)。

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